「そしてミランダを殺す」読書会!

お久しぶりの読書会。課題本は今年話題の「そしてミランダを殺す」で、ゲストには翻訳者の務台夏子さんをお迎えした。
場所はいつものカラオケ屋です。

平均得点は7.2点。
最低点は5点で、最高点は9点。
概して皆さん高評価(な部類)
ちなみにこの9点というのは私です。冬場からガッカリな新刊が続いていたなか個人的には久々のヒットだったので、9点をつけてしまった。

 

※ここからネタバレあります。

まず一番よく聞かれた感想は、
*展開に意外性があった(重要人物だと思いいてたテッドがすぐに死んで驚いた)
*サイコパスだけどリリーには肩入れしてしまった
*キンポール刑事がキモい

物語のスタートは空港のラウンジ。そこで妻ミランダの浮気に悩むテッドと、謎の女性リリーは出会う。旅の恥はかきすてとばかりに、妻への不満を愚痴るテッドに、「奥さんは殺されて当然の人じゃないか」とその肩を押すのだが、状況はハイスミスの「見知らぬ乗客」を否が応でも思い出させる。でも、実はこれは交換殺人の物語ではないのだ。

「あっけなくテッドが殺される」というのは実は序章に過ぎず、徐々にリリーの過去が明かされていき、その後は真打ミランダとリリーの闘いになるのだが、この部分でもミスリードを誘うという凝った作り。

このミランダとリリーの二人の女性が対照的で、一方は豊満な身体つきに長い黒髪に、出かけるときは黒いアイライン欠かさない肉食系のザ・ビッチ。もう一方は赤毛で化粧っ気のないスレンダーで物静かな植物系。
マリリンモンローと原田知世という喩えもでていたが、どうだろうか?
いずれにしても、ミランダは狙った獲物(金持ち男)にグイグイいくタイプで(しかも戦略的に)、それで捕まえたのが一発大成功して財をなしたテッドというわけだ。

特に同性にとって一般的にはミランダは「うわぁ…」というタイプだと思ったが、女性陣のなかには「かっこいい」と支持する声あり。自分の欲望に正直でストレートなところがいいらしい。

また、ミランダはある朝、テッドの寝顔を見て嫌悪感を抱きテッド排除を決意するのだが、「そういう心情もよくわかる」とも。
夫の皆さんは気をつけましょう・・・(笑)

その反面、ミランダが自分で手を下さなかったことには一同批判的だった。

少数派を除けば、概してリリーには同情的で「なんとか上手く逃げ切って欲しかった」という声多し。
ミランダは常に計算して男に近づいているが、リリーはその都度意図せずして「恋」をしているというのも理由なのじゃないだろうか。リリーは殺人という敷居がほぼないに等しいサイコパスでありながらも、読み手に共感もさせる。

この種のエンタメ小説ではサイコパス=サイコキラー、社会から排除すべきものという図式なものが多いし、多くのひとはそれしか思い浮かばないだろうが、自閉症にスペクトラムがあるように、実はサイコパシーにもスペクトラムがある。
良心の欠如というのは、先天的な脳の特定部位の機能不全であるから、その不全具合にも程度差があるのだ。
現実社会は二元論で片付けられることのほうが少ないし、エンタメもリアルを求めるのであればそれに即するべき。極端すぎる悪にしなかった点も個人的には高く評価したい。
本書のキモは実はこの点にあって、一見ごく普通に逆にそんなことをしそうにないほどおとなしく見える人でも、サイコパスであり得るということにあるのかもしれないとも思った。

また、なぜリリーはあの井戸にこだわってしまったのか。それまでの殺人は緻密だったのになぜ最後だけ雑なのかという疑問もあがったが、それが人間というものなのかも。

ゲストの務台さんもおっしゃっていたが、「リリーはどこか野生動物のような感じで、その世界でそっとしておいてあげたい」気持ちにさせる。
通常よくミステリで描かれるサイコキラーと違って、彼女のテリトリーに入り込んで何かを害さない限りは、たぶん他人を害することもない。

原題の「The Kind Worth Killing」が表しているように、リリーに殺害される人には必ず相応の理由がある。

きもいストーカーと化すキンポール刑事については、そもそも彼の存在自体不要だったのではないかという意見もあった。
「見知らぬ乗客」リスペクトものとしては、事件を執拗に追う刑事の存在は不可欠であるし、最後のひと捻り的にも彼がいないと間抜けになってしまう気がする。何しろ、「テッドとリリーが知り合いだった」ということは彼しか気づいていない事実なのだ。

また、キンポール刑事は詩作が趣味なのだが、彼の5行詩は日本語でもちゃんと韻を踏んでいるのはさすがです。

面白いのは、キンポール刑事と会った時、ミランダは「秒殺できる」と思ったが、彼がストーカーをするほど惹かれたのは真逆なタイプのリリーだったことだ。秒殺どころか興味も抱かれないやん…
少しタイプが違うが、その昔、ブルーカラーの男性が好きなのは藤原紀香で、ホワイトカラーは松嶋奈々子派だというのを思い出した。

ミランダから見たリリーの「ヒッピーみたい」という印象と、男性たちがリリーを見た時の「物静かな赤毛の美人」という印象が違いすぎて理解できなかったという方もいらした。
だが、見る主体によってと世界が変わるのも本書の特徴だ。そこまで極端ではないものの、「ゴーン・ガール 」「その女アレックス」を彷彿とさせるものもある。
リリーは恋敵としてミランダのことを覚えていたのに、ミランダはすっかりリリーのことなど忘れていたりもするのだ。
得てして加害者はやったことを忘れがちだが、やられたほうはいつまでも覚えてるものだということも、ハタと思い当たった。

務台さんによると、スワンソンの次回作もマザー大学を舞台にしたものだそうです。

 

 

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