ノンフィクション

日本も同じ運命?明日は我が身「西洋の自死―移民・アイデンティティ・イスラム」

2019-02-25

グローバリズムもそうだが、リベラリズムも必ずしも良いことばかりではない。
というか、そのせいで今や欧州は、自死しかけているというのが本書の主張。

西洋の自死: 移民・アイデンティティ・イスラム

焦点はずばり移民(難民)。2015年にドイツのメルケル首相が公にほぼ無制限の難民の受け入れに踏み切った。そのため欧州では日々莫大な数の移民が生まれ続けている。

寛容さを支えるのは、欧州的リベラリズムだ。移民に批判的なことを口にしようものなら、即座に「人種差別主義者」のレッテルを貼られ、社会から葬られてしまう。
ただ、大量移民の突然の増加は西欧社会に悪影響を及ぼした(または将来及ぼす危険がある)のも事実だ。

それは必ずしもWin-Winにつながらない。
「対立の世紀 グローバリズムの破綻」を読んだ時も思ったが、もしかして世の中の富や安全や幸福には総量が決まっていて、地球上にはそれよりも人間が多すぎるのかもしれないなどと思ってしまう。
問題は、寛容さから得られる満足と引き換えに、自分が今まで享受してきたものを差し出せるのか、という感もある。

メルケルが大量移民受け入れに舵をとらせたのは、レバノンから逃れてきたパレスチナ人少女の涙だったが、メディアと大衆から「冷淡な態度」を批判された。
確か、そのとき少女はメルケル首相に「ドイツの人たちが当たり前に持っているものが、私も欲しいだけなの」と言ったと記憶している。

宗教も文化も風習も違う国で育った移民が、その国に「同化」するのは難しい。実際、移民によるレイプ事件も多発している。そしてメディアは加害者が移民であることは意図的に隠す。リベラリズムにとって都合が悪いことだからだ。
かくして、そうしたことを快く思わない層と移民は対立の構造をとることになる。

欧州の寛容すぎるほどの寛容さの背後には、かつて植民地とした国々に対しての罪悪感があると著者はいう。アウシュビッツという悲劇を生んだドイツなどはもう別格だ。そこには、ほとんどマゾヒズムばりの贖罪の念が存在すると著者はいう。

だが、自分自身が生まれてもいない過去に対して、いつまで罪悪感を抱き贖い続ければいいのか。

4月から外国人の単純労働者を大量に入国させようとしている日本にとっても、欧州で起きていることは対岸の火事では済まされない。まさに明日は我が身。過去の罪に対する謝罪を永遠に求められる点もまた同じ。

少子高齢化に歯止めのかからず、膨れ上がる社会福祉費と借金、労働力不足に悩む現状にあって、移民だけが諸問題の解決策だという声もあるが、その副作用は想像以上に大きいだろうことは容易に想像できる。

いずれ欧州はアイデンティティを失ってしまうだろうと著者はいう。
スウェーデンなどは今のスウェーデン人の寿命が尽きる前に、白人が少数派になってしまうと予測されている。他の西欧諸国も同様だ。もともとの国民の少子化傾向は解消されないまま、多産な移民は増え続けていくのだから。白人と有色人種の割合は逆転し、飲み込まれてしまうのだ。

読めば読むほどに、まったくおっしゃる通り。
本書でも言及されているが、ミシェル・ウエルベックの「服従」の世界が容易に想像できる。
物議を醸したこの小説は、フランスにイスラム政権が誕生し、フランスという国自体ががイスラム化してしまうというストーリーだ。
文字通り、多数派のムスリムの前にフランスは「服従」してしまうのだ。
読んだ当初は突っ込みどころ満載だと思ったが、客観視すれば、人も国も滑稽で愚かしいものなのかもしれない。

  

 

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