最貧困女子 / 鈴木大介

“最貧困女子”この言葉の持つインパクトはどうだろう。

内容も劣らずショッキングだ。

著者によれば、貧乏と貧困は違うという。
確かに“プア充”という言葉が示すように貧乏でも幸福な人は多くいる。低所得で生活はギリギリだが、家族や地元の友人らと助け合いながら幸福に暮らしている人は多くいる。
それにひきかえ、貧困とは家族・地域・友人などのあらゆる人間関係を失い、もう一歩も踏み出せないほど困窮している状態を指すのだという。

そして、後者は無理解と批判のターゲットになりやすい。同じ所得層でも文句をいわず、幸福に暮らしている人もいるのに、それができないのは本人の努力が足りないからだという目でみるからだ。

そんな貧困におちいっている女性のなかでさらに、”可視化されない”ほどの困窮を抱えている女性たちが“最貧困女子”だ。
この”最貧困女子”は売春や性風俗といったセックスワークの中にいる。中というよりも底の底といったほうが的確だ。

著者は、20名程度この”最貧困女子”への取材を行ったというが、尻尾を巻いて逃げ出す。彼女たちを取り巻く圧倒的な不自由と悲惨と壮絶さに耐えられなくなったのだ。

多分、読者に先入観を与えないよう慎重に言葉を選んで書いたのだとは思うが、私も読んでいてたまらくなくなった。
もし、身近にこの種の人がいたら、助けてあげたいという感情云々のその前に逃げ出してしまうことだろう。正直とても耐えられそうにない。こういうとあなたは私のことを薄情だと非難するだろうか。しかしそれくらいの衝撃だ。

彼女たちは一様にその生い立ちから不幸に囚われている。
多かれ少なかれメンタルも病んでいる。そればかりか軽度の知的障碍も持ち合わせていることも多い。
何も与えられず育ち、適切な教育も受けられず、友人もおらず、容姿にすら恵まれていない。そもそも努力するベースもないし、さらに悲劇的なことにその気もない。

著者曰く、

彼女たちは本当に、救いようがないほどに面倒くさくて可愛げがない

ゆえに、むしろ糾弾の対象になってしまう。
最も救うべき対象であるにもかかわらず、皆が助けたくないと思ってしまうのだ。

容姿にも環境にも恵まれ頭も性格もいいという、何もかもを持っている人もいれば、本当に何も持ってない人もいる。世の中は残酷にできているのだ。

人は助けてくださいと声をはっすることができる人、助けたくなる見た目の人を優先してしまう。それが人間のごく自然な感情だ。
助けようと手を差し伸べた時、睨みかえし拒む人を「それでも」助けるのは難しい。

だが、ここに”最貧困女子”のリアルがあり、今の世の最悪の残酷さだと著者は訴える。

貧困は連鎖する。同様に”最貧困女子”の苦しみも連鎖する。最終章には著者が考える負の連鎖を断ち切るための策もしるしてある。万能な策ではないだろうが、やらないよりはマシかもしれない。

 

 

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