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世界遺産「石見銀山遺跡と温泉津温泉の旅 〜その2 石見銀山 龍源寺間歩

2019-03-29

翌日はローカル線で石見銀山の玄関口、大田市駅へ。
「座席ナンバー7Aの恐怖」の主人公とは真逆で私は飛行機大好き。京急のおかげで横浜から羽田はとても便がいい。でもローカル線に乗るのも好きなのだ。海沿いを走るとなると是非とも乗ってみたいじゃないの。
ただ、驚くほど本数が少なかったりするので、下調べ必須(苦笑)

大田市駅には石見銀山のパンフレットも置いてあり、ここから 石見銀山行きのバスがでている。

バスを待つ列に並んでいると、ボランティアと思しき女性が、龍源寺間歩に行くのなら、大森という停留所で降りて、そこにあるレンタル自転車屋さんで電動自転車を借りるといいですよと教えてくれた。

石見銀山遺跡は、2007年に世界遺産登録された鉱山遺跡。
ネットで検索すると、「もう二度と行かない!」というフレーズが上位にでてくるが、どうやらこれはめちゃくちゃ歩かされるかららしい。
遺産登録されている範囲が広大すぎて、しかも車の乗り入れが禁止されているからなぁ・・・

でも、長距離歩けないなら自転車で回ればよかったのに・・・
自転車に乗れない人のためには、自転車タクシーもあった。
それともこの手の苦情おかげでレンタル自転車屋ができたのかな?

バスに乗り、山の中に向かうこと40分・・・
大森バス停に到着。アドバイスの通り素直に電動自転車を借りたが、結果的に大正解だった。

レンタルは2時間なので、まず「龍源寺間歩」に向かって見学して自転車を返してから、歩いて大森の街並みを観光して「大森代官所跡」まで歩き、そこのバス停から大田市に戻るのが最も効率的だと教えてもらう。

石見銀山は、大航海時代の16世紀に博多の豪商、神谷寿禎によって発見され、約400年に渡り採掘されてきた世界有数の鉱山遺跡だ。
神谷寿亭が銅を買うために出雲の銅山へ赴く途中、日本海から山が光るのを見たのがきっかけだったという。なんだか神秘的だ。

戦国時代には、銀山をめぐって山口の大内氏、出雲の尼子氏、広島の毛利氏の争奪となったが、関ヶ原の戦いまでは毛利家の支配下にあった。
江戸時代になると幕府の直轄地となり、代官所が設けられて幕府から派遣された郡代・代官が支配にあたったそうだ。

16世紀から17世紀初頭にかけては、世界の銀の産出量の実に3分の1近くがこの銀山で採掘されたと言われている。
「灰吹法」という手法で製錬された上質な銀は、ヨーロッパ諸国では「ソーマ銀」として知られ、アジアとヨーロッパの交易において重要な役割を果たした。当時石見銀山のこの地方は、「佐摩」と呼ばれていたことから「ソーマ銀」と呼ばれるようになったのだとか。
意外だったが、金本位制が確立したのは19世紀になってからで、それまでの国際的な交易の場では銀が通貨の役割を果たしていたという
この銀と引き換えに日本は中国から生糸や絹織物、陶磁器などを輸入していた。

世界遺産登録の際に特に評価されたのが、従来の伝統的技術による銀の生産方法の跡が残されていることと、自然と人間がかかわりあっていることを示す景観だったという。
察するに、失礼ながらあまりに不便な田舎すぎて捨て置かれていたため、逆に価値を生んだということだろうか。たぶん会津の「大内宿」などと同様だと思う。

龍源寺間歩へはかろうじて車が一台通れる程度の道路(ちゃんと舗装されてます)をずっと緩やかに登っていく。自転車では15分くらいだが、歩くと片道40分、往復するだけで2時間弱もかかる。

それでも歩いている人を多く見かけた。500円のワインコインガイドのツアーも歩いて回るからそのグループだったのかもしれないが、途中の自然の景観や鳥のさえずりなどが非常に魅力的だった。
時間が許せば、この徒歩のツアーを利用するのが一番いいが、私たちは弾丸なのでね・・・

そうこうしているうちに、龍源寺間歩近くの駐輪場に到着。
そばには、高橋家がある。

 

自動販売機も景観に沿うよう木枠でおしゃれしていた。
こんなところに自動販売機があるのは、ここに至るまでお茶するトコもコンビニも何もないからだ。

察しの良い方はお気づきだろうが、お天気激変。
さっきまで晴れていたのになんと雨が降り出した。降水確率0%だったから、もちろん傘なんか持ってきてない。
というか、現在位置の天気予報は晴れのままなんですけど・・・?

 

看板見切れちゃったけど、「龍源寺間歩」の入り口。

間歩(まぶ)というのは、銀鉱石を採掘するための坑道のこと。人が岩を鑿で削って作られたものだ。1日5交代制で、10日で10尺(3mちょっと)のペースで掘ったそうだ。
この「龍源寺間歩」「大久保間歩」に次ぐ大坑道で、全長600mにもなるというが、観光用に公開されているのは手前の158mのみ。
(最大の大久保間歩は、限定のツアーでしか行くことはできないため、弾丸ツアーの我々は断念)

 

この「龍源寺間歩」の入り口には、地元のシニアボランティアガイドの方がいらして、坑道の中を一緒に回りながらガイドしてくれた。

聞けば、この「龍源寺間歩」はもっとも多くクレームが寄せられているのだそうだ。駐車場やバス停付近から最も距離があり、苦労してやってきたのに超ツマラナイということらしい。それもそのはずで、下調べもなく、歴史も知らず、ただ通っただけではただの穴でしかない。

石見銀山はぱっと見も地味だし、流行りのインスタ映え〜!な場所もないし、かなりマニアな世界遺産だ。特に女性受けはしないだろうな。

それもあって、この方はこの龍源寺間歩で局所的にボランティアでガイドをされているのだとか。

この黒い筋が銀脈なんですよ、一人で13トンも掘った強者もいるとか、金と銀の交換比率の話や交易の話等々を聞けたのはとてもよかった。
皆さんももし龍源寺間歩にお越しの際は、是非お願いしてみてください。

 

ひおい坑
岩石の隙間に縦に走る鉱脈の層を掘り進んだ小さな坑道。

 

冬眠中のコウモリちゃんを発見!

 

炭酸カルシウムを多く含んだ地下水が空気に触れると、方解石が晶出する。

それが1000年くらい経つとこうなるそうだ。

出口のための新坑道。

出口付近には、「石見銀山絵巻」が展示されている。

地下水を組み上げる様子や

酸素が不足する坑道の奥に空気を送る方法など

鉱夫の中には一人で13トンもの銀を掘ったものもいるというが、肺を患ったり低酸素症になったりする者も後を絶たず、過酷な仕事ゆえ、平均寿命はわずか30歳だったという。
坑夫には保険のようなものがあり、病気になっても2ヶ月間ほどは月に米2升(3キロ)が支給されたそうだ。

 

左が銀の鉱石。
右の普通の岩石に比べて、左の銀鉱石は重くて持ち上がらなかった。
手前は坑夫が使用していたサザエの殻に油を入れて明かりを灯すランプ、螺灯(らとう)。

 

 

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