コカイン ゼロゼロゼロ 〜世界を支配する凶悪な欲望 / ロベルト サヴィアーノ

本書『コカイン ゼロゼロゼロ: 世界を支配する凶悪な欲望』本年度最もインパクトある本だ。

ノンフィクションだが著者と対象物の間には距離がない。その視線は出来事を追いかける記者ではなく、自らの魂を追いかけているかのようである。

著者はノンフィクション・ノヴェルといって欲しいというが、なるほどノンフィクションというよりは、小説というほうがしっくりくるかもしれない。
だが、語られているのは全て実際に起こっていることなのである。


タイトルからも明らかなように、本書はコカインをめぐるマフィアのビジネス、暴力とその残酷性、マネーロンダリングを途轍もないスケールで描いたものだ。
コカインはわかった。

では、ゼロゼロゼロとは何か。
それは最高品質の小麦のことである。
イタリアでは、小麦粉の等級を0の数で表し、それが三つ連なる000は最高級品質を指すのだ。コカイン000は、ベビーパウダーのように細かく不純物のない最高品質のコカインを指している。同時に、この「ゼロゼロゼロ」のゼロは、マネーの桁の直喩でもある。

コカインほどの利益を生み出せる銘柄は、株式市場には存在しない。
無謀な投資や先物取引、あるいは巨額の資本移動といったものですら、コカインにに匹敵するほどの価値の増加を生み出すことはできない。

コカインに投資すれば、巨大ホールディングスが数十年の投機と投資を経て達成する富を数年で築くことができる。
なんといってもゼロが1000になるのだから。
コカイン以外のどんな経済の原動力であろうと、これほどの加速性はない。だからこそ、コカインの巨大市場では、残虐で暴力的な対立ばかりが顕在化する。

 

そんなコカインをめぐる犯罪組織の暴力の凄まじさは筆舌に尽くし難い。
冒頭語られるのは、メキシコのカルテルに潜入したDEA(アメリカ麻薬取締局)特別捜査官キキの物語だ。

コカインといえばコロンビアだが、当時コロンビアではライバル関係にあるカリ・カルテルとメデシン・カルテルが抗争を繰り広げていた。
双方ともにFBIの買収に手こずったため、米国内への持ち込みにはメキシコを経由させていたが、メキシコのカルテルにとっては、国境越えのマリファナのルートをそのままコカインに流用すればよかったのだ。

リアル「犬の力」の世界。

一斉摘発の後キキの正体はカルテルにばれ、誘拐されてしまう。この際の拷問の様子が凄まじい。鼻をへし折り睾丸に導線を繋いで電気ショックを与える。頭にビスをねじ込み、焼けた鉄の棒を直腸に差し込む…etc。それらは全て幹部に報告するため録音され残されていたが、この証拠テープを最後まで聞くことのできた裁判官はいなかったという。

だが、このキキの物語の要諦は暴力性ではない。キキの誘拐はなんとメキシコ警察の関与によるものだったのだ。そして、DEAとは協力関係にあるべきメキシコ政府すらも、何もせずただ事態を静観したのだった。

コカインビジネスでは、他のどんなものを扱っても手に入らないほどの力を手中にできる。

麻薬捜査官はよく金持ちには二つのタイプがいるという。金を数えるタイプと、金の目方を量るタイプ。
コカインを牛耳る者たちにとって、金は数えるものではなく目方を量るものなのだ。

前述のような恐ろしいまでの暴力性とは無縁でいられても、我々とて知らずコカイン・ビジネスの影響を受け暮らしている。コカイン・マネーは世界の資本の奥深くにまで浸潤しているからだ。

今日、世界の金融権力の中枢、シティ・オブ・ロンドンやウォールストリートが沈没せずにいられるのは、ひとえにコカイン・マネーのおかげだとさえいう。

銀行が莫大な富を生み続けるためには、それに見合うだけの現金が必要だ。誰かがその現金を供給しないかぎり、富を放出することはできない。

その巨万の富を現金で持っているのは麻薬密売業者だ。もちろん彼らだけではないが、金融システムが機能し続けるためには彼らの金が重要であることも否定できない。
こうして、先進国に住まう我々はコカイン・マネーの上に築かれた楼閣に知らず暮らしているというわけだ。

他方、メキシコなどの途上国では、その途方もない金の力によって政治家や官僚が買収され、買収された政治家や官僚の手によって、その金は銀行の保護下に置かれる。
そして、銀行には汚れた金の流れを暴くための手立ても、関心すらも欠如している。

他にもカラブリアの犯罪組織「ンドンゲタ」やロシア・マフィア、ギニア人の運び屋、メキシコカルテルを仕切る女帝などなど、コカイン・ビジネスにかかる人々の物語が語られる。どの物語も、残虐性にあふれており悲劇的だ。

積み重ねられる幾つものストーリーは、読み手も著者自身をもがんじがらめにする。人間の欲望の深淵をあまりにも長く覗き込んだがために、自らも怪物と化してしまったと嘆くほどである。

前著『死都ゴモラ—世界の裏側を支配する暗黒帝国 』を書いたため、命を狙われるようになったという著者は、その痛みと憤りを吐露する。

読み手は、あたかも私的な日記を覗き見しているかのような気分にさせられ、感情を揺さぶられる。

こうしたコカインをめぐる悲劇を終わらせるには、どうすべきなのか?

逮捕しても逮捕しても所詮イタチごっこに過ぎず、唯一解決可能な方法は合法化することではないかとさえ著者は考え悩む。しかし、文学に答えが明示されることがないのと同じくその答えは見つからない。

だが一方で、こうした事実を多くの読者が知るという行為こそ、麻薬犯罪組織が最も恐れることだとも彼は考える。
読書はよく言われるように、「受け身」の行為ではない。読んで、感じ、学び、理解することは、「知る」ということは、現状を変える第一歩なのだと。

 

 

 

 

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