ザ・カルテル / ドン・ウィンズロウ

ルヘインの「過ぎ去りし世界」を読んだときに、
「ウィンズロウもキングもまだだけど、これが今年の一番決定!!!」と断言したのは早計だった(*゚ェ゚*)
 
 
というのも、ウィンズロウのこの本に対する熱量がすごいのだ。
 
完全にやられてしまった。その「熱」は読み手に伝染する。
上下巻、途中でやめることがどうしてもできず、一晩で読んでしまった。
 
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本作は、「犬の力」のそのまま続編にあたる。
 
「犬の力」は過去30年にわたる長い長いメキシコ麻薬戦争を描いたものだが、「ザ・カルテル」はその後の2004年から2012年までを描いた物語だ。
 
だが、必ずしも「犬の力」を読まなければならないというわけでもない。もちろん、「犬の力」を読んだほうが理解は深まるだろうし、可能なら「ボビーZの気怠く優雅な人生」「野蛮なやつら」「キング・オブ・クール」まで網羅できれば、世界観を堪能できるだろうが、読まなくても支障のない書かれ方をしているし、その都度補足もある。
 
これを読んで気に入れば、後から読むというのも全然アリ。
 

 

元麻薬潜入捜査官のアート・ケラーは、長きにわたる戦争の影響からニューメキシコの修道院で人知れずひっそりと暮らしていた。修道士たちは誰も彼の名を知らず、ただ養蜂家」ビーキーパーと呼ばれている。
 
だが、彼の平穏な生活は長くは続かない。彼が塀の中に送り込んだか麻薬王、アダン・バレーラが動き出したからだ。一人娘を失ったアダンは、その葬式に赴くため、メキシコの刑務所に移送されることを望んだ。
 
そして、そこで文字通り牢屋で再び「天空の王」となり、麻薬カルテルを統べはじめる。残された唯一のバレーラ一族として組織のドンを担ってきたエレナから、アダン自身へとそのバトンを戻すため彼は脱獄に成功する。
そして、再びアダン・バレーラとアート・ケラーの闘いの日々が始まるのだが・・・
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戦争というものが全てそうであるように、麻薬をめぐる戦争も裏切りに満ちている。時に敵の敵とも手を組み騙し合う。闘う双方が疲弊しなんの罪もないメキシコの無辜の民が犠牲になる。
前作「犬の力」との一番の違いはその年数だ。あちらは30年。ゆえに俯瞰されたものだったが、今回はもっと短い。ゆえに登場人物一人一人の機微が丁寧に描かれている。そして、メッセージ色が濃い仕上がりだ。
ケラーの闘いも、前作とはその目的が変わった。かつては麻薬を一掃すべく、いたちごっこを繰り返していたのが、麻薬そのものは眼中になくなっていくのだ。
 
アメリカ最長の戦争は、第二次世界大戦でもベトナム戦争でもなく、「麻薬との戦争」だとウィンズロウは断言している。
そもそもこの麻薬にかかる問題は”メキシコのもの”ではなく、北米のものだ。北米に巨大なマーケトがあり、市民が現実から逃げるため麻薬でハイになる必要がある社会が存在することこそが諸悪の根源なのだという。
 
しかも、麻薬産業が世界経済にもたらす規模を考えれば、誰も本気で「麻薬との戦争」には取り組むことなどできない状況だ。
莫大な麻薬マネーがなければ、世界経済は息の音が止まってしまうからである。
 
作中、ナルコのエディが象徴的な言葉を口にしていた。
「金で幸福は買えないかもしれないが、長い間借りることはできる」
Kindle版では、3人がこのセリフにハイライトを入れていた。私を入れて4人というわけだが、誰かが金で幸福を借れば、その代償はいつも貧しく弱い人々が支払うことになる。
前回「犬の力」を読んだときも確か梅雨の時期で、果てしない戦争とまるでやまない雨がリンクして鬱々とした気分にさせられた。だからというわけではないが「犬の力」は私にとってのウィンズロウのベストではなかった。
奇しくも今もまさに入梅をむかえたが、本書は私にとってのウィンズロウの最高傑作だ。
また、ウィンズロウといえば、翻訳はこれまでずっと東江一紀氏だった。それがああまりに当然だったため、ウィンズロウ・ファンの中には、”東江ロス”に陥っている方も多いことだろう。
かくいう私も、彼の洒脱な訳のファンの一人だ。だが、本書は心配する必要は全くない。
 
 

 

 

 

 

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