サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福/ ユヴァル・ノア・ハラリ

最近読んだなかでのベストオブベスト。

各国でベストセラーになっているし、新年早々のNHKの「クローズアップ現代プラス」にも取り上げられていたのでご存知の方も多いだろう。

単行本で上下巻。少し躊躇してしまう価格でもあるが、一度読み始めるとそんなことは吹っ飛ぶ。その読書価値からすれば高いとも思わなかったほどだ。(内容もさることながら、Kindleで買ったら、780ポイントももらえることだし!)
 

 
 
読書の醍醐味のひとつは、「目から鱗」体験ができることだが、本書はまさにそれだ。
人間(ホモ・サピエンス)の歴史をこれまでにない角度から綴りつつ、人間の「幸福」について考えさせる。人間(以下サピエンスという)の歴史は万人の知る通りだが、著者の手にかかるとそれが見たこともないような新鮮なものにと変わるのだ。
 
人間はこれまで様々な困難の乗り越え、言葉によるコミュニケーションによって動物と一線を画し、農業によって飢えから逃れ、近年には産業革命や資本主義によって現代の我々に至っている。だが、自然界において取るに足らない弱い存在だった我々サピエンスを他の動物と大きく隔てたのは、言葉の獲得みならず「フィクションを信じる力」だと著者は主張する。サピエンスのみが現実にそこにある客観的な事実だけでなく、想像上の事物フィクションを生み出しそれについて語り他の多くのサピエンスと共有することができる力を持っているのだ。
 
今日の神、宗教、イデオロギー、貨幣、法律、人権、会社、全てが現実の客観的事実ではなく、我々が産み出したフィクションなのである。
このフィクションを信じる力のおかげで、我々はたんに物事を想像するだけでなく、集団でそうできるようになったという。
 
例えば、絶滅したとされる他の人類ネアンデールタール人と、我々の祖先ホモ・サピエンスを個人個人で比べるなら、サピエンスはネアンデルタール人には到底及ばなかっただろう。だが、サピエンスは、これらフィクションを共有することで集団になることができたのだ。
 
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目から鱗なのは、このフィクションという考え方だけではない。
著者は、農業革命などの文明の進化は、サピエンスにとって幸福をもたらさなかったという。
農業以前の狩猟民族時代のほうが、サピエンスは栄養的にも幸福という観点からも満たされていたのではないかともいうのだ。
 
私たちは常識として、農業はサピエンスにとっての福音以外に何者でもないと信じてきたが、著者はそれをいともたやすく否定する。
 
化石化した骨格を調べてみても、農業革命以前の狩猟民族は背が高く健康だったことは明らからしい。狩猟民族は多様性に富んだ食物を摂取していたからだ。
それに比べると近代以前の農民はバランスの悪い食事をしていた。主な農民が摂取するカロリーの大半は、ジャガイモや小麦、稲といった単一の穀物だったからだ。現代の栄養士や医者にいわせれば、著しく糖質に偏った食事といわざるを得ないだろう。
 
加えて、農業は労働時間を長くした。旱魃や火災によって収穫は大きく影響され、家畜が原因の感染症にも苦しめられることにもなった。
だが、最も大きな計算違いは、農業によって得られる食料の総量が多くなった反面、養わなければならない人数が爆発的に多くなってしまったことだった。
平均的な狩猟民より長く働かなければならないのに、見返りに得られる食料は減ってしまったのだ。
 
他にも、多神教から一神教の成り立ち、貨幣、帝国の成り立ち、科学と帝国の結びつき等々、興味深い史実と考察は続き、最終的に文明は我々を幸福にしたのか?という問題にたどり着く。
 
私たちサピエンスは、時代を下るにつれ進化し繁栄してきた。少なくとも1500年代のサピエンスに比べるなら、私たちの生活は便利で良いものになっているはずなのだ。だが、農業革命に見られたように新たな行動様式や技術が人を「幸福」にするとは限らない。
その証拠に集団としての能力が増大した現代では、繁栄を謳歌しているにもかかわらず、多くの人が空しさや疎外感に苛まれている。自殺者の多さはその表れだろう。
 
yuval noah harari 
 
未来へと目を向ければ科学の力で全ての人を「幸福」にできなくもないかもしれない。
生化学的に「幸福」な状態を感じられるように、ハクスリーの「素晴らしい新世界」で誰もが服用していた「ソーマ」のような薬の開発だって夢ではないのだ。
だが、「幸福」とは脳の生化学的な状態だけを指すものなのだろうか?
なぜ「素晴らしい新世界」は嫌悪を感じさせるのだろう?
映画「マトリックス」のネオは目覚めないほうがよかったのだろうか?
根本的ななぜ?は尽きることはないが、その答えを待たずしてその頃には死すら克服できるかもしれない。
 
どんなに反論する人がいようとも科学の歩みは止まらないのだ。
だとすれば、唯一我々にできるのは、科学が進もうとしている方向に影響を与えることだけだと著者はいう。
つまり、我々が「何を望みたいのか」が重要になってくる。
私たちはどういう選択をすべきなのだろう…?
 
後半、最後の最後のあたりはまさにSFも顔負けだ。科学の進歩と人間の幸福という問題は、人工知能が孕んでいる問題と同根のものでもある。どうすべきか?という答えが得られるよりもはやいスピードで科学が進歩し制御を失ったとき、我々は何を思うのだろう。
 
サピエンスという種としての幸福もそうだが、自分にとっての「幸福」とは何なのだろうかについても深く考えさせられる本だ。
 
 

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