戦争にチャンスを与えよ / エドワード・ルトワック

GW「デブ活」読書の第三弾。

読書貯金もこれでおしまい(苦笑)

「戦争にチャンスを与えよ」とは、なんとも物騒なタイトルではないか。

 

 
不穏な空気が漂う昨今、戦争はいつはじまってもおかしくない。そのせいか、話題の書となっているようでアマゾンでもベストセラー1位になっていた。
 
著者は、安全保障の専門家として各国のアドバイサーをもつとめる「最強の戦略家」だという。本書は、そんな”戦略家ルトワック”の最も有名な論文「戦争にチャンスを与えよ」やその他の講演に関連したインタビュー集だ。
「戦争にチャンスを与えよ」という論文そのものも第二章にまるまる掲載されている。
 
Edward Nicolae Luttwak 
 
彼の世界観の根幹をなすのは、パラドロシカル・ロジック(逆説的論理)という概念だ。それは、紛争時に働くロジックのことで、戦争が平和につながり(戦争の目的は、平和をもたらすことにある)、平和が戦争につながることがあるということである。戦争は巨悪ではあるが、大きな役割も果たしているのだという。
 
一見、過激で乱暴な論理に思えるが、彼のいうことには裏付けがある。
「人間は(争わずにはいられない性分を持つ)人間であるがゆえ、平和をもたらすには、戦争による喪失や疲弊が必要となる」のだ。そして、「外部の介入によって、このプロセスを途中で止めてしまえば、平和は決して訪れない」
ユーゴ紛争やボスニア・ヘルツェゴビナの紛争しかり、ルワンダのフツ族とツチ族による争いしかり、イスラエルとパレスチナしかり…。
 
外部からの介入や戦争の過程で生じる難民を支援することは、一見人道的だが、結果としては悲劇をもたらすという。
難民支援はその地に難民を押しとどめ、彼らを”生涯を通じての難民”に変えてしまう。そして、その子や孫たちはそこで憎しみを糧に生きるようになるのだ。
つまり、戦争を中途半端に止めれば、憎しみの感情が不完全燃焼のままくすぶり続け、難民を安易に支援すれば、彼らは憎しみを糧に武装するようになる
 
この論理は、「言ってはいけない 残酷すぎる真実」の橘玲氏が好きなリバタリズムに通じるものがある。
アフリカの子供たちが可哀想だからといって支援物資を送ってはいけない。それらは流通過程で奪われてしまいどうせ子供たちの元には届かない。そして、その元値がタダの品物は、かの地の市場の育成を阻害する。
物資の支援がその国の経済の発展を妨げるのと同様、難民支援は平和を妨げる結果となるというのだ。
 
逆に、戦争は徹底的にやらせたほうが良い結果をもたらすという。その最たる例は今日の日本だそうだ。確かに、日本は原爆投下され、徹底的に踏みにじられたが、そこから奇跡的な復興を遂げた。しかし、そう言われても、徹底的にやられたほうはたまったものではないが。
 
私たち、戦争を知らない世代は、その上の世代から「絶対に戦争はいけない」と刷り込まれて育った。9条を放棄することはもちろん、改正することなんてあってはならないのはこれまでの常識だ。そこから180度違う論理に正直戸惑う。
しかし、感情論を排して、冷静な目で歴史上の「原因と結果」を見るならば、彼のいうことは正しいのかもしれないとも思う。ただ、その過程で犠牲をうむのが忍びないのだ。
 
誰だって平和のほうがいいに決まっている。が、実際問題として現状のままでは、もしも「北」や「あの大国」が攻めてきたら、皆で潔く死にましょうということに等しい。そもそも、9条バリアはクレイジーな輩には効きそうにない。
 
映画「シン・ゴジラ」に出てくる政治家や官僚のように、前例のない事態を前に全く冗談みたいに振舞っている間に散々なことになるのではないかと危惧してしまう。安全保障問題は、その実、待ったなしの問題だ。
国会では、とにかく平和を!改正反対!と叫ぶだけでなく、平和を維持し私たちが戦争に巻き込まれないために具体的にどうするのか、いかに国民生活に被害を与えないようにするのかについて話し合ってほしいものだ。
 
ルトワック氏は「まぁ、なんとかなるだろう」が一番の悪手だと言っているが、今の日本は「まぁ、なんとかなる」そのものだ
 
戦争と出生率の関係などにも触れているが、それもあながち間違いではないと思う。ただし、これを公言すると人格を疑われるだろうけども。まさに「言ってはいけない 残酷すぎる真実」だ。
ルトワック氏はユダヤ系ということもあるので、やたらと好戦的なのかなとも思ったが、だからこそリアルなのだとも思ってしまう。
大抵の場合、現実や真実は残酷にできているものだったりもするのだ。
 
 

 

 
 

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