もうスパイ小説は読めない?今年一番の良書「プーチンの世界」

文句なく今年一番の良書。
本書は、米国シンクタンクに所属する二人のロシア専門家による、ウラジミール・プーチンについての本だ。膨大な資料と緻密な取材に基づき、インテリジェンス的思考でプーチンその人の考え方、世界観を分析、予測している。

脳筋なスパイ小説ではなく、インテリジェンスを描いたフィクションが好きな方にもオススメ。ボリュームもあるし価格もそれなりだが、絶対読んで損はない。


プーチンの世界

米国のドナルド・トランプ大統領、北朝鮮の金正恩総書記、中国の習近平国家主席、そしてロシアのプーチン大統領…
国際社会では、独裁者といわれる人たちの存在感が増している。なかでもプーチンは1999年末にロシア連邦の大統領に就任して以来、実に17年以上も最高権力者の座についている。

この本の前に、日本のロシア専門家の佐藤優氏と歴史学者の山内昌之氏の共著「悪の指導者(リーダー)論」を読んだのだが、そのなかで推奨されていたのが本書だった。キャッチーなタイトルだが、ここでいう「悪」とは善悪の悪という意味ではなく、「悪源太」などで使用されるのと同様、「猛々しく強い」という意味だ。
そういう意味ではプーチンこそ「悪の指導者」の最たるもの。私たちは民主主義や自由化というものは喜ばしいものだと思い込んでいるが、一方で議会制民主主義はスピードを要する危機対応には不向きだ。
国家にとって長期的かつ構造的な危機が存在する現在、独裁的指導者が台頭しているのはそのためだろう。

まず、私たち西側諸国の人間の多くはプーチンという人物を見誤っていると著者はいう。
元KGBの工作員で自分に歯向かうものには容赦ない冷酷な独裁者か、はたまた過度ともいえる演出のパフォーマンス好きな幼稚で漫画的な人物か。
だが、プーチンは決して見せかけ通りなどではなく、極めて複雑な人物だ。派手なパフォーマンスには、必ずそれを見せることで彼を利するためのターゲットが存在するし、彼が語る物語はすべてコントロールされたものだ。
プーチンにとって重要なのは、彼の言動が真実かということではなく、相手がそれをどう捉えるかだという。

本書では、彼を「国家主義者」「歴史家」「サバイバリスト」「アウトサイダー」「自由経済主義者」「ケース・オフィサー」といった6つの特徴的なペルソナに着目し、プーチンその人とロシアという国のシステムを解き明かしている。
平行して、クリミア併合やウクライナ危機、民族主義の高まり、モスクワの中産階級を中心に広がりを見せたプーチン疲れを彼がどう乗り切ったのかについても描かれている。これがフィクションを上回るフィクション性がある。しかもアカデミックな意味においも秀でている。
この後に読むスパイ小説は、どんなものであれ陳腐に見えてしまうかも。

タイトルにもなっている「ケース・オフィサー(工作員)」としてのペルソナはもちろん、それぞれのペルソナは密接に絡み合っているが、個人的には「国家主義者」「サバイバリスト」としての彼は特に興味深かった。

実はプーチンは民族主義者ではない。彼は多民族性を重んじている。
彼の考えでは、まずロシアという優れた文明がある。たとえ他民族であろうと、ロシアを受け入れ、ロシア語を自分たちの文化の基盤にするのであれば、出自に限らずロシア連邦を構成する民族だと考える。民族という面においては、プーチンの見方は寛容で柔軟性があるのだ。
ただし、国内統治のためにはそのカードすら切る覚悟もある。

ソ連邦は、民族ではなく共産主義というイデオロギーによって統一された国家だったが、佐藤氏の言葉を借りれば、プーチンが目指しているのは「ソ連から共産主義というイデオロギーを差し引いた姿」なのだという。ともかくロシアが多民族国家であることをよくわかっている。

島国でありほぼ単一民族といえる日本でも、近年は民族問題が根をもたげてきている兆しがある。人口減少で移民政策は待ったなしの状況でもあり、決して他人事ではない。
ロシアと日本では国の成り立ちや背景は全く異なるが、その柔軟性に学ぶべき点はある。

同様に、はっとさせられたのは、プーチンの考える「国家」の定義だった。
彼によると「国家」には二種類ある。ひとつは完全なる主権国家。歴史、文化、アイデンティティ、経済、軍事という点で自国の利益を主張できる国のことだという。
ただ、それは世界でも米国、中国、ロシアの3国しかない。
もう一つはそれ以外の限定的な主権しかない国だ。
日本が後者に属するのは明らかだが、ドイツ、フランス、イギリスといった国をも、彼にとっては自国の安全保障をNATOやアメリカに依存している限定的な国家にすぎないという。
日本の外交は「バラマキ」一択しかない。そのことは国内外から非難されるが、そもそも日本にはそれしか手段がないのだと考えさせられる。

「サバイバリスト」としてのペルソナは一層雄弁にプーチンの視点を物語っている。
「サバイバー」と「サバイバリスト」は根本的に違う。前者は主に運頼みだが、後者は生存の確立を高めるための対策を積極的にとる。そのためにたとえ犠牲を払ったとしてもである。
プーチンは同時に戦士で戦略家もあるが、戦士としての彼は恐ろしいとしかいいようがない。チェチェン紛争やクリミア併合の例をとるまでもなく、彼は買った喧嘩は最後まで戦い抜く。多少の犠牲は問わない。
曰く、「彼は嘘の約束や脅しはしない。彼がなにかすると言い、その準備が整えば、あらゆる手を尽くして実行方法を見つけてくる」という。

限定的な主権しか持たない日本がこんな相手にどうするというのか。
実は、その答えも「サバイバリスト」という彼のペルソナにある。サバイバリストであるがゆえに、彼はいつか吹く逆風に備え、選択肢を残しておくのだ。
今は順調に見えるロシアと中国との関係が悪化した際のヘッジは、日本なのだ。アメリカとは良好とはいえない。何にしろプーチンにとっての完全国家は、米中露しかないのだから。そして、日本に対して「北方領土」という強力なカードも持っている。

安倍首相の地元山口県長門市での日露首脳会談では、機は熟さずという結果になったようだ。経済支援と技術提供、他にも日本から引き出せるあらゆることを求めてくるだろう。
その長門市の温泉宿に行ったことがあるのだが、現地のドライバーの方曰く、プーチンはせっかくのフグも食さず、温泉にも入らなかったという。

日本人からみると、ロシアという国やロシア人は理解が難しい面もあるが、逆もまた然り。私たちはプーチンを見誤っているのかもしれないが、同時にプーチンは、その経歴も影響して、西欧諸国のリーダーや指導者の考えが恐ろしいほどにわからないという。
ドイツのメルケル首相はかつてオバマ大統領に「プーチンは別の世界に住んでいる」と言った。
それはプーチンが英語を話さず(ドイツ語は非常に堪能)、ドレスデンに赴任中だったためペレストロイカを体験しなかったことも大きい。が、ロシアという国の成り立ちにのせいもあるのだろう。
ロシアは文化的にも地理的にも残りの世界から遠く離れた孤独な場所にあり、そこに暮らす人々の間にはロシア世界という感覚が養われていった。そして、歴史を通じロシアの指導者にとってはヨーロッパ人は常にロシアを襲ってくる存在だった。
ロシアが異常に緩衝地帯にこだわる理由だ。

たとえプーチンがいなくなったとしても、ロシアには彼のレガシーが残ると著者はいう。彼の次にロシアの指導者となる人物もまた、「工作員」であり、国家運営はプーチンの方策が引き継がれるにちがいない。

近現代の歴史小説としても大いに価値ある一冊。

 

    

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA