冤罪だった!?真山仁のノンフィクション「ロッキード」

「ハゲタカ」の真山仁による渾身のノンフィクション。

しかしいつまでも「ハゲタカ」って言われるのは気の毒なような…(苦笑)
カズオ・イシグロもいつまでも「わたしを離さないで」の作家として語られたくないというようなことを言っていた。

その意味でも、新しい真山仁が楽しめる一冊かもしれない。


ロッキード
ロッキード (文春e-book)

読んで思ったのは、ああ、角栄さんは冤罪だったんだなと言うことだった。

ロッキード事件についての私の知識は新聞テレビ等の報道でうっすらと知る程度。
今では大問題になるだろうが、当時小学校の先生が「田中角栄は賄賂をもらった悪人だ」と言っていたのを覚えている。当時の公立の学校の教員は日教組、つまり共産党に傾倒している人が多かったせいもあるだろうが、まあ、世間一般にこうした認識だったと思う。
庶民にとってはもはや田中角栄がクロというのは常識に近かったように思う。

大人になり、ことに政治や経済犯罪などに関しては善悪は二元対立的ではなく、スペクトラムだということに気づいたが、いずれにしろ彼がロッキード社から5億円もの賄賂をもらったのは事実なのだろうとは思っていた。

しかし、本書はそうした常識を覆す。
もちろん、当時の関係者はほとんど鬼籍に入っているため、著者の推測によるところも大きい。
しかし、裁判における「証拠」の扱い方は明らかにおかしいし、総理大臣が一民間企業である全日空の航空機選定に対する見返りをもらうという不自然さ、その見返りがたったの5億だったということについては、やはり疑問を抱かざるを得ない。
当時も今も私のような庶民からすれば、5億円は大金だが、越山会という優れた集金システムを持っていた角栄にとってどうだったのか…

それとともに実感させられたのは、「大衆はいかにメディアに躍らされやすいか」ということだった。
というより、大衆は憂さ晴らしでき、溜飲を下げるため生贄を求めたという方が正しいだろうか。

強烈なインフレに苦しんでいた大衆は、ガス抜きのため生贄を求め、中立であるべき司法までもそれに加担してしまった。

「世論がコントロール不能になり、社会を突き動かし、誰も止められなくなる事態はあの時が最初で最後という保証はない」という著者の言葉は、このコロナ禍において身につまされる。

ただ、当時熱心にこの事件を取材していた記者の中には、角栄無罪を確信していた人も少なくないようだったが。

本書では、ロッキード事件の真相についても触れられており、前述したようにその部分については、どれほど信憑性があろうがあくまで取材に基づく推測に過ぎない。
なにせ、当時を知る人はもうほとんどいないのだから。

しかし、中曽根康弘氏死去のあたりから、田中角栄本を多く見るようになり、角栄が再評価されているというのはただの偶然なのだろうか。

結果として、中曽根は角栄とは比べ物にならぬほど長く総理の座に就き、多くのレガシーも残したが、もし角栄が葬られなかったとしたら、今とは違った日本になっていたのかな。
タラレバを語っても詮ないだけであるけれども。

 

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