世界情勢を鑑みても、今はフィクションよりもリアルのほうが圧倒的に面白い時代だ。読書傾向も新書などに傾きつつあるのが、久しぶりにミステリ系を読んでみた。
ここ最近とハズレ続きだったので、全く期待していなかったのだが、これがかなり良かった。多分に「久しぶり補正」もあったのかもしれないが、本書はなかなかのものだった。
私にとっては最近一番のヒット。しかも文庫でお値段もお手ごろなので、物語の着地点が読めず、かつ不穏系好きな方にはかなりオススメ。
物語はヒースロー空港のビジネスラウンジで一組の男女が出会うシーンで始まる。
若くして財をなした男テッドは、魅力的な赤毛の美人リリーと出会う。
こんな美人が話しかけてくれば、普通何かが起こることを期待するところだが、テッドの頭の中は妻ミランダの浮気の一件でいっぱいだ。
マティーニの杯を重ねるうち、テッドはミランダの不貞の一件をリリーについ愚痴ってしまう。今の自分の望みは妻を殺すことだと。
冗談のつもりだったが、聞き上手なリリーと話すうちに、テッドは本当にそれを望むようになってしまう。
ミランダのように自分のルックスを頼りに他者を利用する女は殺されてしかるべきではないか…
原題は「The Kind Worth Killing」殺されて当然の者たち。
タイトルが示す通りに、テッドの妻ミランダは自分の美しさを武器に他者を利用し、不要になったら捨てる類の女だ。本書には、他にも児童性愛者なども登場する。
「殺人が大罪される真の理由は、あとに残される者がいるから」
ならば、誰からも真に愛されない人間はどうなのか。
物語はテッドとリリー、ミランダ他、人物は変われど、全て一人称で語られていく。一人称であるがゆえの共感性につい騙されそうにもなるが、上述の理屈は完全に筋違い。
それはわかっているのに、そういう言い分にも一理あるかもしれないと一瞬錯覚さえ覚えてしまう。特に小児性愛者を前にした少女の気持ちになった場合には。
道徳と気持ちの不整合は気持ちやはり悪いのだが、その気味の悪さは物語が進行するにつれて、より大きく、よりドス黒く、庇いようのないものになっていく。
構成としては3部構成から成っており、場面が変わるごとに物語の展開も変わる。
この感じはピエール・ルメートルの「その女アレックス 」を思い出させる。あれほど派手にガランガランと音を立てていうほどではないが、本書も先の展開は全く読めない。
そして、これが重要なのだが、転がっていく過程も着地点も、自然で腑に落ちるものになっている。
狩る者と狩られる者の攻防も緊張感があり読み応えがあった。
本書は2105年のスティール・ダガー候補だったそうだが、なぜ受賞できなかったのか。単なる嗜好の違いかもしれないが。
不穏な気配からなんとなくお分かりだと思うが、これは捕食者の物語だ。本書のそれは私たちが映画やテレビドラマで目にするシリアルキラーたちとは一見真逆に見えるが、その実、ピッタリと条件に当てはまる。
現実にはその種の人は、誰にも気付かれることのない場合も多いのかもしれない。
昨今は精神科医や心理学者などによるその種の本も多く出ているため、やっつけ仕事でキャラクターを作れば物語は台無しになるものだが、本当によくできていると思う。
そうそう、本作品の映画化権も売れたそうだ。解説の方によれば、シナリオも仕上がってクランクイン待ちだいう。
とはいえ、最近はとにかく権利だけお買い上げというパターンは多い。少し似通った作品の著者から訴えられることを避けるために、とりあえずは買っておくのだそうだ。脚本も仕上げるだけ仕上げておくものらしい。だからハリウッドで稼ぐ脚本家というのは、自分の作品が映画化されることのない人なのだと聞いた。そのほうが本数をこなせるから稼げるというわけか。
だいたい小説で読めば映画は結構という感じだが、これは是非みてみたいな。
コメントを残す