ほぼ実話。やがて悲しき女スパイの物語「潜入〜モサド・エージェント」

トランプ政権がエルサレムをイスラエルの首都と認めたことにより、またたまキナ臭くなってきた中東情勢。常にその中心にいるのがイスラエル。
本書はそのイスラエルの元国防軍情報部隊准将エフタ・ライチャー・アティルが描いた”ほぼ実話”の女スパイの物語だ。

本書の主人公は、世界最高と謳われるイスラエルの諜報機関、モサドの潜入スパイのレイチェルだ。ナチスの大虐殺を経験したユダヤ人はイスラエルという国を建国したが、周囲を敵国に取り囲まれているため、日々「全世界を敵にしようが生き残る」ことを命題としているという。
その生き残りのための犠牲がどれほどのものかが、静謐に、そしてまざまざと描かれている。

しかし、レイチェルの物語は従来のCIAやMI6を描いたスパイ小説とは一線を画す。アクションや派手さは全くないので、それを期待して読むと裏切られると思う。


少し前だったか、ロシアの「美人すぎる女スパイ」がアメリカを国外退去になりニュースになったことがあった。お顔をみると「美人すぎる」というのは、いささか言い過ぎだろうという感じだったが、そもそも人に顔を覚えられやすい美男美女はスパイには向かないという。スパイにとってもっとも重要なのは、周囲に溶け込む能力なのだから。
本書の主人公のレイチェルも、充分な魅力はあるものの、女優のように目立つ美女というわけではない。

物語は、レイチェルが潜入スパイとして活躍した30歳当時から15年を経た現在、突如として彼女が失踪してしまうところからはじまる。
長年連絡をとっていなかったケース・オフィサーだったエフードに電話をかけるなり、姿を消してしまったのだ。
スパイは、たとえその役割を終えようが生涯スパイだ。重要機密を知る彼女は危険分子となる可能性もあり放っておくことはできない。
モサド長官は世界各地に人員を送り出し、エフードに「生死を問わず」彼女を連れ戻すよう命じるのだった…

潜入スパイの孤独、苦悩、恐怖といった負の感情に圧倒される。
スパイの仕事には「中毒性」があるともいうが、それにしてもなぜここまでしなければならないのか。
ユダヤには「誰かが殺しにくるなら、立ち上がってその男を先に殺せ。」という格言があるそうだが、その代償は計り知れない。

007ことジェームズ・ボンドはサイコパス的傾向が強いと指摘されるが、それもさもありなん。
ただ、実際にスパイとして役立つ人物は、サイコパスなどではなく、適切に恐れることを知り、不安に理性的に対処できる精神的に安定した人間だという。

エフードの話が面白いのは、モサドがレイチェルに周到に用意したカバー・ストーリーや、レイチェルが潜入スパイとして成し遂げたことだけでなく、エフード自身がレイチェルに恋心を抱いていたことだ。
20歳の年齢差があり、現役当時でさえ、腹の出た冴えない男だったエフードはレイチェルを愛しており、彼女もその気持ちを知ってはいたが彼はその対象ではなかった。
任務の性格上、レイチェルは好きでもない相手と寝ることもあるし、女性としてひどく傷つけられることもあった。そして彼女が人生を賭して愛した相手は別にいた…

15年間時が止まったままだったレイチェルのことはもちろんだが、読み進めるうちに、ついついエフードの気持ちはいかばかりだったろうかと推し量ってしまう。
主人公は確かにレイチェルなのだが、もう一人の主役は彼女を見守るエフードなのだ。
そういう意味では、本書はリアルなスパイ小説であるとともに、やるせない恋愛小説でもある。

 

 

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