タイトルの通り、津和野と萩へちょっと旅行をしてきた。
熊本地震のちょうど一回目のときは津和野のホテルにおり、テレビを観て肝をつぶし、翌日の深夜は萩の宿で大きな揺れにあった。
この二度目の地震が本震ということらしいが、萩は震度4。スマホの緊急地震速報も鳴った。眠れない夜を過ごし、宿のテレビで見たその被害には言葉もでないほどだった。
すでに宿も飛行機も変更不可能だったこともあり、旅行は続行したのだが、結果それで良かったのだと思う。
母(と母の友人1名)と一緒の旅行ということもあり、シブシブシブという感じだったが、津和野も萩も、土地の人々も素晴らしくて、行って良かったなぁと思ったし、また「孝行したいときに親はおらず」という言葉も噛み締めた旅でもある。
さて、まずは津和野から。津和野町は島根県西部の山間部に位置する城下町で、山陰の小京都といわれているそうだ。
私の脳内イメージは浅見光彦シリーズで、確かに内田康夫のような作家がおこもりして執筆するのにはふさわしいかもしれない。何もないし。
津和野駅を通る山口線は、D51が走ることでも有名。今年の11月20日までは、土日に1便のみ走っているそうだ。残念ながら私たちが行ったのは平日だったため、見ることはできなかった。ま、もしも走っていたとしても、私の腕とカメラでは、走行しているD51を撮るなんて芸当はとても無理なわけだが。
↑これは駅に展示してある(野ざらし!)のD51
鄙びた雰囲気の津和野の駅。
町の水路には鯉が泳いでいるのだが、これまた残念ながら水が濁っていた。
2013年に水害に見舞われており、今なお続く護岸工事の影響らしい。もし水が澄んでいたら、この何倍も素敵なのだろう。
鯉は思ったよりもずっと巨大で、まるまるとよく肥えていた!
梅雨の時期にはこのあやめも咲くそうだ。
風情のある殿町通り。
ホテルの前の水路には、なんとアヒルもいる。おもちゃみたいだけど本物。
中庭を一般公開しているお米屋さん。
ここも水路と同じ錦川の水を引いているのか、濁っていて残念。
津和野の町はこじんまりとしているのでぶらっと歩いて観光できる。
古くて雰囲気のある酒屋さんが多い。
骨董屋さんの軒先。
津和野カトリック教会
中はこんな感じ。
内部は畳敷きで、ステンドグラスが美しい。靴を脱いで上がる。
ただ、この教会は幕末から明治にかけて起こった隠れキリシタンの迫害の悲しい歴史を背負ってもいる。長崎のキリシタンたちは、改宗のため幕府によって様々な藩に預けられることになったのだが、津和野藩に割り当てられた信徒は153名だったという。彼らは厳しい拷問を受け、うち37名が命を落としたのだそうだ。
この教会に隣接する乙女峠展示室には、殉教に関する歴史資料が展示してある。
その反対側は幼稚園だった。
その反対側は幼稚園だった。
錦川のそばにある鷺舞の像。
舞は、毎年祇園祭りのときに見られるのだそうで、この津和野の鷺舞は、国の重要無形民族文化財に指定されているそうだ。
紅葉の時期はもっと美しいにちがいない。
もうひとつ有名なのが、この太鼓谷稲成神社。ここのお稲荷さんには、本物の油揚げでお供えをするのだ。お供え用の油揚げは150円で売っている。
奉納された1000本の鳥居。
この鳥居は、山の麓から山頂の神社までずっと続いている。
登りきったところにはこんな立派な門が。
歩いて登ると10分くらいと聞いたけど、もっとかかりそうだ。
この太鼓谷稲成神社に向かう山道の途中には、津和野城跡にむかうハイキングコースがあるのだが、リフトも用意されている。
母と母友は「私たちは待ってるから」というので私一人で乗った
頂上からは町が一望できる。でも、行きはよいよい帰りは、、、、
ひ、ひぃ〜〜〜〜
ひ、ひぃ〜〜〜〜
😱😱😱
・・・(萩編)に続く。
今回の旅のお供は、以下の本をDLして持参した。
殺戮者のウイルス は、軽く読めるアクションもの。
イスラムのテロVS正義のアメリカンヒーローという構図。
アメリカ人はこういうの好きだよねという感じだが、あまりにも善悪がはっきりしすぎ。
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