バブル:日本迷走の原点 / 永野 健二

ちょっとご無沙汰!ここ数日バタバタでした。
 
プーさんが、アベちゃんに河豚をご馳走になっているとき、わたしは小田原で蕎麦をすすっていた(゚∀゚)
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お蕎麦も美味しいんだけど、
 
いいなぁ。豪華河豚会席!
いいなぁ。大谷山荘!
 
河豚で北方領土が帰してくれるわけはないが、安倍総理の地元の長門の知名度は上がったし総理自身の存在感も増した感もある。
「大国の掟」にもあったが、特にロシアは、敵国との緩衝地帯を重んじる傾向にあるらしいのでちょっとやそっとのことでは解決はしないだろう。(日本はロシアからみれば、敵国の属国)
プーチンは法を変えて大統領の任期を伸ばし、安倍総理は自民党の党則を変えて総裁の任期を伸ばした。二人とも超長期政権を踏まえての席だったわけだ。4年持つかどうかもわからないトランプ大統領より、プーチンとの関係をよくしておいたほうが賢いとうものだろう。
 
 
ところで、阿部政権の目玉はいうまでもなく円安&株高のアベノミクスである。あまり恩恵はないけれど。
本書「バブル:日本迷走の原点」は、かつてのバブル時代に起きたことを振り返り、円安株高を良しとするアベノミクスに警鐘を鳴らす本だ。
 

 
かつて、円高危機論が持ち上がった際、昭和天皇は経済の専門家にこう問われたという。
「円高というのは、日本の価値があがること。良いことではないのですか?」
言われてみれば陛下のいう通りだ。日本の価値が下がるのに、どうして景気がよくなるのだろう?
この素朴な陛下の疑問は、「どんなに円高になっても、生き残れる国になるために、日本の経済の仕組みや制度を変えなければならないのではないか」という陛下なりの問題提起ではなかったのか、と著者は言う。
 
陛下が意図的に問題提起をしたか否かは別として、安倍政権が推してきたアベノミクスはまさに円安&株高である。
一時期低迷したものの謎のトランプ相場でまた円安が進み、株も2万円を伺う勢いだ。(就任まではの期間限定かもしれないけど)
円安になって日本の景気がよくなるのは喜ばしいが、実際潤うのは上位層だけ。庶民はその恩恵にあずかれないし、格差も広がりつつある。
 
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話は変わるが、旧ソ連の時代を知るロシアの老人たちは、今ソ連時代を懐かしんでいるという。それはソ連時代が今よりも良かったということではなく、当時自分たちが若く一番輝いていた時代がソ連時代だからだなのだそうだ。
 
かくいうわたしも、最近とみにバブル時代が懐かしい。正確にいえば、わたしが大学に入学したときはすでにバブルははじけていたのだが、それでも余韻のようなものがあった。受験勉強から解放されたこともあって毎日が目新しいことの連続だったなぁ。とかくバブルは嫌悪的に見られがちであるが、私にとってはよい時代だったのだ。ソ連時代を懐かしむロシアの老人と同じ理由なのだろうが、少なくとも当時は今と違って庶民もそれなりによい思いもできていた気がする。
 
 
 
本書に登場するバブル紳士及び彼らにまつわる事件は、新聞やテレビニュースで見聞きしたことばかりで、そのどれもが印象深いドラマだ。
成り上がりを具現化したかのようなバブル紳士たちは、熱病のような時代を生き、短く、そして無残に散っていった。
それを馬鹿にし笑うものも多いだろうが、実のところ、今だって構造自体はそう変わらない。
 
当時日経の証券部の記者だった著者は、当時のバブル紳士に対してやや手厳しい。けれども、わたしは彼らの生き様もあっぱれではないかと思ってしまった。
どれほどもて囃されようとも、彼らは絶対にヒエラルキーの頂点には立てないし、少し派手にやると途端に上から叩かれてしまうのだ。時代の徒花といわれるが、ある意味庶民の不満のはけ口にされた感すらある。
誰かにターゲットを絞ってガス抜きをやるというやり方をわたしは好まないし、ちょっと同情してしまう部分すらある。
 
「ああ、なるほどそうだったのか」と思ったのは、小糸製作所の買い占め事件だった。小糸製作所は、トヨタ系の部品メーカーだったが、それが米国のグリーンメイラーのピケンズに買い占められたのだ。
ただしそのピケンズは実は名義人にすぎず、背後には渡辺喜一郎という人物がいた。当時名を馳せた”麻布建物グループ”を率いていたバブル紳士の一人だ。若い方はご存知ないかもしれないが、ニュースでも派手に取り上げられた事件なので、記憶にある方も多いだろう。
彼は、阿倍晋三の父で、当時自民党の重鎮だった安倍晋太郎を介し、トヨタグループに買い占めた小糸製作所株を買い取るよう求める。当時よく見られた買い占め事件の決着の仕方だった。
しかし、トヨタの奥田英二会長はそれにノーを突きつけたのだという。
そして、後にこう語ったそうだ。
「阿倍さんのような将来のある政治家は、あんなのに肩入れしちゃいけない」
安倍晋太郎は、その将来を期待されつつも、ついぞ、総理にはなれなかった。
 
トヨタの会長の機嫌を損ねたことで、阿倍晋太郎は総理の椅子に座れなかったと著者は言っている。気がつかなかったが、もしかして、日本は欧米以上に階級社会なのかもしれないなぁと思った顛末だった。
 
総理になれなかった男の息子は史上最長の総理になりつつあるが、トヨタは変わることなく君臨し続けている。まだトヨタような大企業のご機嫌を伺う時代は続くのだろう。
 
 
銀行も政治家も何かにつかれたかのように、浮かされ、踊らされたバブル時代を
シニカルにみるならば、まさにヒエロニムス・ボスの阿呆船そのものである。
Hieronymus Bosch 3 
 
ルーブルにあるこの絵は、小さな船の上で乱痴気騒ぎを繰り広げる人々を風刺したものだ。飲んで騒ぐ愚者たちは、その船の行く先を誰一人として知らないの。
踊る阿呆にみる阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ、損、損、というわけである。
 
しかし、だからといって、不況時代が何か特別に充実しているわけでなし。
誰かが確実に未来を予想できるわけでもなし。
 
そんなものに負けない地に足のついた強い経済を!という著者の主張もよくわかるのだが、では、具体的にどうすれば良いのだろう?方法論や打開案なく批判だけするのでは、どこかの民進党と一緒じゃないかと思ってしまう。
 
好況、不況を繰り返すのが経済の必然ならば、踊る阿呆でも仕方ない気もする。
いや、大多数が見るだけの阿呆なのだから、踊れる分だけ立派じゃないか。
 
こんなことばっかり思ってしまうのは、疲れているからだろうか。
 
 
 

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