フィクション

SF的な宇宙で安全に暮すっていうこと / チャールズ・ユウ

2014-12-08

夏くらいからの積読本。
なんとしても今年のうちに読まなければ、と思っていた。
モタモタしているうちにとっくにKidleも出ている・・・

しかし、なぜポケミス仕様にしたのか。

物語の主人公「僕」こと”ユウ”は、この”SF的な宇宙”でタイムマシンの修理とカスタムサポートをしている。派遣元からの請負仕事だ。
彼はたいてい、TM-31型娯楽型タイムマシンで時間のはざまをさまよっている。タイムマシンの内部は電話ボックスくらいの広さで、エドという犬とタミーという女の子と暮らしている。
エドは非実在犬だし、タミーはコンピューターのUIの人格スキンだが。

ユウの家族は両親だけだが、母親はSF版の介護支援施設で、同じ1時間を何度も繰り返して過ごし、父親は失踪中でどの宇宙で何をしているのかも不明だ。ユウの父はガレージでタイムマシンを開発していた不遇な在野研究者だった。

ある時、彼は自分のマシンの時制オペレータが壊れていることに気づく。いつかの時にいることなく人生を遅れるということを乱用しすぎたためだ。
そこでタイムマシンは一旦宇宙の中心に着陸させ、ユウは”現在”に滑り込む。しかし、寝過ごしてしまったユウはとんでもない事態に陥る。
自分自身に遭遇してしまったのだ。
SF的な宇宙ではそれは最悪のことだ。動転したユウは会社支給のパラドックス中和試作銃で”相手”を撃ってしまうが・・・


著者のチャールズ・ユウは、この日本語訳を担当した円城さん本人かと思うばかりだが、一応別の作家。なんでも台湾系米国人の弁護士らしい。

しかしリチャード・パワーズは好きなところといいとても似ているし、難解だ。果たして”SFなのか、はたまた哲学なのかは”よくわからない。
人によって理解の仕方も解釈のし方も楽しみ方も異なる類のものだろう。

ブライアン・グリーンの多元宇宙の本を読んだ際、最先端物理は限りなく哲学に近いとしみじみ思ったが、本書は、この最先端物理と哲学の関係を連想させた。
最初はやれタイムマシンがどうのといっておきながら、読みすすめていくうちに、知らず精神世界に潜っていく。

自分自身のなかには色々な物語がある。私たちは絶え間なく色々なことを考える。過去を何度も思い出し、思い出しているうちにその記憶は徐々に上書きされ、実際に過去に起こった事実とは異なるものになっていることもある。
その時間軸は、現実の世界との関わりを持っていない。またまだ起こっていない未来を想像することもできる。
私たちの頭の中こそが、「SF的な宇宙」だ。

てか、なんだかよくわからないが、これはまんま多元宇宙論だったりするし。

 

 

 

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