『暗いブティック通り』読書会が週末に迫っているので、急ぎ読む。
もう、ギリギリ。
今回のプレゼンターはYくんだが、単館上映のマイナーな映画が好きという彼らしいセレクト。
モディアノはノーベル文学賞を受賞したことで一躍有名になった作家だが、日本ではあまりメジャーではなく、本書も長らく廃刊になっていたという。
ノーベル賞を受賞した際も特にオッズが高かったというわけでもなく、春樹さんが有力だと見られていた気がする。
私も読むのは初めて。しかもフランス文学にも馴染みがないのでおっかなびっくりだったが、これが想像していたよりも良かった。余韻が後をひくのだ。
俗にいう「モディアノ中毒」とはこういうことなのかと思った次第。
舞台は1965年のパリ。主人公は、ギー・ロランという男。とはいえその名は本当の名前ではない。
ユットから貰った名だ。彼が昔記憶をなくし往生していた時に、ユットは同情して手を差し伸べてくれた。人脈を駆使し戸籍までも手に入れてくれた。
そして、自分の探偵事務所で一緒に働かないかと誘ってくれた。以来ギーはユットの元で仕事を手伝ってきた。
しかし、ユットは探偵事務所を畳むことを決め、ギーは自分自身の過去を探そうと心に決める。
過去を探る手掛かりがつかめたのだ。
そこから、ギーは自分の過去の手掛かりを知る人物から人物を辿ってパリを彷徨う。
レストランの支配人、亡命ロシア人、そしてゲイ・オルロフというロシアの娘…
自分だと思われる男の人生は、果たして自分のそれなのだろうか?
それとも誰か他人の人生に滑りこんでいったのだろうか?
『冬のソナタ』に影響を与えた作品だということで、帯にも白水社の内容紹介も「引き裂かれた恋人たち」に言及しているが、そうしたありきたりの「悲恋の物語」よりも空疎さや虚無性のほうを感じた。
物語そのものも「私は何者でもない」という意味深な言葉で始まっており、読み進めていくうちに暗い夜道で途方にくれる感覚に陥るのだ。
聞けば、モディアノの父親はイタリア系ユダヤ人で、母親はベルギー人の女優だったという。そしてモディアノは、父親が偽の身分証でパリに潜伏していた時に生まれた子供だという。時代性もあるが複雑な出自といっていいだろう。
本書に限らず、モディア作品の殆どがナチ占領下のパリを舞台にしているそうだが、本書の主人公が記憶を亡くした当時の1943年はまさにその渦中。
作中には直接「ナチ」という言葉はでてこないものの、その暗い陰は物語に付き纏っている。
また、本書は探偵小説の形をとっているものの、一般的なミステリとは全く違う趣向に仕上がっている。
あまり言及するのも無粋だが、もしこれにいかにもエンタメ的な答えが用意されていたとしたら、陳腐になってしまっただろう。
そもそも本書を純粋なミステリとして読むのは不可能なのだ。訳者も「あとがき」で指摘している通り年代的にみると齟齬がある。
主人公自身も、亡命ロシア人の老人スチョーパがいうように若いのか、そうではないのか?
ギーという名を持つ主人公と、我々読み手がそうに違いないと考える真相は、真相でない可能性さえ残している。
冒頭の言葉の通り、主人公は何者でもなかったのかもしれない。
それはとりもなおさず、誰しもがユットのいうところの”海水浴場の男”なのであり、そこに長年実存したにもかかわらず、誰一人としてその男の名も知らず、なぜそこにいたのかさえわからないということを示している。
文章は叙情的で甘やかで詩情たっぷり。その謎と相まって余韻が残る。
小道具の使い方もパリっ子らしく洗練されている。端役にすぎない登場人物の台詞の反復や、小説の名が踏む韻、ほのかな胡椒を思わせる香水(時代からしてゲランのMitsukoだろうか)、過去に主人公の力になってくれた男が口ずさんでいた歌などなど…
そういえば、Mitsukoも残り香が素敵な香水である。
ちなみにルビローサが好んで口ずさんでいたあの歌『お前は俺に馴染んでいた』Tu Me Acostumbrasteはこんな歌だ。
今も多くの歌手がカバーしているらしい。
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自分も急遽読んでみました・・で、以下は読書メモ。
≪喪失した記憶を探し(追い)求める男の物語。正直ありふれた題材であるけれど、薄明の中にある主人公の不穏な記憶の遠近感が巧く描出されている・・魅力的な筆致。記憶というものの曖昧さは幻影にも似て、あまやかな感慨(追憶)をひきだすものであるように思うが、本作のテーマ(奥行き)はそうした心の働き(時間の作用)に対するものとは逆(別)の、曖昧さから明確への執拗な行いである。主人公の過去(事実)は少しずつ明らかになっていくものの、喪われた記憶(想い)への哀切もまた深まっていく。主人公はそうして焙り出されてくるもの(残酷)と向き合うことになる。記憶というものの切なくも儚い拡がりを持つ蠱惑を見事に捉えた秀作。
作品の持つイメージから、鹿島茂のエッセイでよく言及されるパサージュという魅惑の空間(幻影・幻想の装置)が連想された。またその奥行き(遠近感の不穏の魅力)からカズオ・イシグロの『充たされざる者』も連想。≫
・・急いで書きました・・ふう。
しかし本の話は置いて、記憶は確かなままでいたいものですなぁ。
まぁ読んだ本の内容の忘れることの速いこと、多いこと(老人力アップ!)。
読書会ではひよっこどもに年長者の読みの深いとこ教えてあげてください!
健闘を祈ります!
・・長くなりました・・ではまた!
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naoさん、こんばんは
ふぅ〜
相変わらずのスゴい読書録に恐れ入りました。
私は、ギー=ジミー・スターン(ペドロ)ではないのじゃないかと思っておりまして…
というのも、訳者の方も指摘されてましたが、ペドロが雪の中で意識を失った時と、ギーがユットに助けられた時の年代にズレがありすぎる。
そこに気をとられると、やはり「誰か他人の人生に滑り落ちていった」ように思え、この主人公自身の存在そのものが不確かに思えてきてしまったのです。主人公の存在の曖昧さに、著者の生い立ちからくるのであろうアイデンティティの空疎さを強く感じましたね。
ーー 建物の玄関というものは、そこを通り抜ける習慣があり、その後姿を消してしまった人たちの足跡の谺のようなものが響いていて、それは薄れていくものだが注意深ければそれをキャッチすることができる。結局のところ、私はマッケヴォイでも何者でもなかったかもしれないが、そうした空中に漂う谺が結晶になっていき、私になったのではないかー
うろ覚えで、細部が異なるかもしれませんが、喩えるなら「ピカソのキュビズム」がイメージされました。
カズオ・イシグロは、確かにウェットな雰囲気は似ているかも。
彼は「記憶の改ざん」を好んでテーマに取り上げてる作家ですよね。
記憶とは不思議なもので、イシグロが指摘するように、思い出すだびに「自分の思いたい過去」に改ざんしていってしまうといいます。
私なんて、意図するとしないにかかわらず、都合の悪いことは常に改ざんしまくり(笑)
でも、そういった特性があるからこそ、人間は生きていけるのだろうし、過去は過去として美しくいられるのでしょうねぇ。
>まぁ読んだ本の内容の忘れることの速いこと、多いこと(老人力アップ!)。
同じく…。
私は本の内容だけでなく、日常生活においても「あれ、何しにこの部屋にきたんだっけ?」ということも多々あるので、大真面目に自分自身を危惧じております…。
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Spenth@さん
こんにちは。
良いカレンダーが出来ましたね。
これで30日、31日も心配なくブログ記事書けますね。
先のコメントですが、決して見捨ててなんかいませんよ。
マウスの陰?ぐらいから、ひっそりと読ませて頂きます。
昨日、ルヘインの「ザ・ドロップ」をポケミスにしては安かったのと、
家人が国民調査のアンケートやってくれといので、なんかくだらない
質問ばかりでしたが、やったら1000円の図書カードをもらっていたので、
それで購入しました。
たまに、薄くて浅いがアホでは無い?!
コメント書くかもしれません。
また、よろしくお願いします。
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Jiroさん、こんにちは!
今日はあいにくの春の嵐。桜も散ってしまいますね。
しかし、今夜はパトリック・モディアノの『暗いブティック通り』読書会です。
これは、メンバーのなかに雨男がいるにちがいないわ(笑)
ルヘインいいですよね!大好きな作家です。
欲をいえば、先にあの『運命の日』『夜に生きる』の続編を読みたかったですが、『ドロップ』も楽しみにしています。またボストンが舞台なんだろうなぁ。
図書券いいなぁ…。うらやましいです。
本って結構高い(特にハヤカワは!)ですものね。
先日、おっしゃっていた『ヒア アンド ナウ』は、図書館で借りられそうです。
では、では〜