春爛漫の福島に行ってきた!〜その2 東日本大震災復興祈願「伊藤若冲展」

2013年の若冲のコレククターであるプライス夫妻の協力で、福島を応援するために開催された「若冲がきてくれました展」から6年、福島では二度目の若冲展。


花見の時期とも重なっているので、出かけるのにちょどいい。期間中は、福島駅を拠点にして花見山公園と福島県立美術館までをタクシーで定額料金でめぐるというサービスもやっているため利用しやすい。


伊藤若冲は江戸時代の京都の画家だ。その人気は異様に高くて、以前上野で開催された特別展では、5時間待ちだとも報じられていた。(さすがに入場に5時間も待てないよね…)
友人が昨年パリでやっていた若冲を観たそうで、すごく良かったと言っていたので、今回は是非観たいと思っていた。

京都からほぼ出ることのなかった若冲と福島は何のつながりが?とも思ったが、今回の企画展は、天明の大火で焼け野原になった京都を目の当たりにし、そこから立ち上がった若冲と、東日本大震災に見舞われた福島の復興への願いを重ねたものになっている。

伊藤若冲についてほとんど知識がないまま絵を見てまわったのだが、そのユニークさ、エキゾティズムと幻想性、また大胆さとは裏腹に、時に執拗なまでの筆使いに魅せられた。

帰宅後、もっとこの画家のことが知りたいと思い、まずは小説の「若冲 」を読んでみた。大河的オハナシが好きな人はハマるのだろうが、私には少々ベタすぎた。



私という個人の印象にすぎないが、この小説の若冲は絵の印象と繋がらない。
小説では若冲は新婚間もなくして自死した妻に終生罪悪感を感じ続け、そのせいで若冲を恨む亡き妻の弟と確執が絵のモチベーションになっていたという描かれ方をしているのだ。(実際に若冲が妻帯していたのかは不明)
フィクションだから仕方ないし、絵をみたことがなければそれでよかったのかもしれない。
でも、違和感が拭えない。若冲はそんなエモーショナルな人物だったのだろうか?
自分の好きなことに没頭し自分の世界に浸るオタクタイプで、他者の感情に反応したりする人ではないのではないかという気がするのだ。 日本人が持つオタク気質が若冲のそれと共鳴するからこれほどまでに人気なのだと思う。


その後、より専門的で学術的な辻惟雄氏の「若冲 (講談社学術文庫)」を読んだが、さすがこちらは得るものが多かった。



辻氏は次のように考察している。

「(人間嫌いな性格ではあったが)彼が主観的にそれほど孤独であったとは私には思えない。彼には信心のほか、絵という他のすべてを忘れて沈潜できる世界があった。その世界はわれわれの日常的視覚からは隔絶して、ひどく異様に映るかもしれないが、若冲にとっては確かな手ざわりをもつ充実した現実そのものだったのだ。」


若冲は京都錦市場の裕福な青物問屋の嫡男に生まれた。ボンなので紙や絵の具、筆などの画材に至るまで最高級のものを惜しげなく使えたのだという。

若冲独特の「筋目描き」は、彼にしか編み出せなかった技だと言われているそうだ。それに必要な吸水性に優れた画箋紙は非常に高価なものだったからだ。

ジョー・プライスもこの手法で描かれた「葡萄図」を一目みて、虜になったのだとか。
当時、珍しかったプルシアンブルーの絵の具を、いち早く取り入れたのも若冲だ。(この顔料も展示してあった)
この種のエピソードを聞くにつけ、文化は余剰からしか生まれないのかもしれないと思ってしまう。
歴史上類をみないほど政治的に安定した時代に、裕福な商家に生まれたからこそ、若冲という画家は生まれたのだと思う。

若冲は40歳を機に家督を弟に譲り隠居の身となったが、それでも京の都に家を3軒持ち、そのうちの2軒をアトリエにしていたそうだ。まったく羨ましいかぎり。



「若冲は、お金のために絵を描く必要のない画家でした」
未だ発色の良い高価な絵の具をふんだんに使用し、恐ろしいまで細密に書き込まれた絵を前にイヤホンガイドの西田敏行さんの声は印象的だった。

しかし、天明の大火で焼けだされた後は、米一斗という料金で墨画を請けるようになったという。今回の企画展は墨画も多く展示されている。

「野菜涅槃画」をはじめ墨画にも有名作品が多いが、一際印象深かったのは、大典顕常とも交遊のあった「売茶翁」の絵だ。元は黄檗宗の僧だった売茶翁は相国寺の大典顕常を通じ若冲とも交遊があったという。「売茶翁像」のほか「橋脚図」にも描かれている。

売茶翁は人の集まる場所で一杯の茶を振舞うことで金を稼ぐという生活を送っていた。僅かな金で自由に生きる売茶翁は、若冲の目にどう映ったのか。

私が行ったのは後期なので、重要文化材の「蓮池図」の展示は終わっていたが、晩年の名作である「百犬図」「象と鯨図屏風」を観ることができた。
どちらも晩年の作だが、見るとほっこりしてしまう。

「象と鯨図屏風」は2008年に北陸の旧家で発見されたものだという。下世話な話だがこの時の買い取り価格は1億円だったと聞いた。今なら軽くその10倍以上の値はつくだろうという。

陸で一番大きい(と思われる)象と、海で一番大きな鯨。鼻をあげてパォーンと言っている象と勢いよく潮をふく鯨の対比が面白いが、どことなく表情はユーモラス。互いを威嚇しているのではなく、「おーい」と挨拶しているようだ。

イヤホンガイドでは、象は若冲10代の頃、将軍吉宗に献上するためベトナムから贈られ長崎から吉宗のいる江戸まで歩いて移動したのだそうだ。途中、京都にも立ち寄った際にもしかしたら若冲も目にしたのかもしれないと言っていた。

若冲の絵には、手長猿など当時では珍しいエキゾチックな動物も多く登場しているが、ペンギンやアリクイ、カモノハシなどを見たらどう思うだろう?どう描くのだろう?


「千載具眼の徒を竢つ(千年待てば見る目のある人が現れるだろう)という言葉を残した若冲。千年もかからずして今、人はその絵に魅せられる。
確かに、若冲はわれらと同時代人である

ところで、若冲作品といえば桝目描きでも有名だ。プライス・コレクション所蔵の屏風には真贋論争もあってなかなか面白い。
「樹花鳥獣図屏風」静岡県立美術館で5月6日まで展示されているそうだ。






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