遺伝子は、変えられる。〜あなたの人生を根本から変えるエピジェネティクスの真実 / シャロン・モアレム

少し前に「言ってはいけない 残酷すぎる真実」という本と、「日本人の9割が知らない遺伝の真実」というのを読んでいたので、まあね…知ってたけどね…と観念していたけれど、、、、

本書のタイトルは、なんと「遺伝子は、変えられる」!!!
 
しかも、著者は遺伝学者にして希少疾患専門の臨床医だ。従来の薬剤がきかない「スーパー耐性菌」に有効な「シロデリン」という抗生剤の生みの親でも知られている。
 

 

これはどういうこと?!と思って読んでみた。

というのも、「言ってはいけない 残酷すぎる真実」に書かれていたのは、科学的根拠に基づいたまさに”言ってはいけない真実”であったし、「日本人の9割が知らない遺伝の真実」は行動遺伝学の見地からそのことを裏付けしたものだったからだ。

で、どうだったかというと、、、
結論として「遺伝子は変えられないが、変えられこともある」
物事には悪い面もあるが、同時に良い面もある、それが本書の率直な感想だ。

「言ってはいけない 残酷すぎる真実」にあるように、いくら努力したからといって、誰もが藤井4段や、イチローやナダルになれるわけではない。

「カエルの子はカエル」…橘玲氏はかなり露悪的に書いているため、嫌悪感を抱いた方も多いと思うが、私個人としてはこれはこれで大いに納得できる本だった。
解釈の仕方によっては優性学的に陥る可能性もあるが、逆に幸福の感度を上げる生き方の推奨とも受け取れる。
本書の著者もその種のことを否定しているわけではない。
親からハンチントン病の病原遺伝子を受け継げば、現在のところその悲劇的な運命を変えることはできないのは非常に悲しい現実だ。
遺伝学者であり、同時に先天性希少疾患の専門医である彼は、これまで見てきた多くの希少疾患患者の例をあげつつ説明していく。
生まれつき骨折しやすい女の子、全身が骨化してしまう子、「ミレニアム2 火と戯れる女 」に出てきたニーダーマンと同じく痛みを全く感じない”先天性無痛無汗症“の赤ちゃん…etc
これらの症例を通して見えてくるのは、遺伝子の不思議だ。先天性の希少疾病患者と私たちの違いはごくごくわずかな変異の差であり、私たちは誰でも変異したDNAを持っている。
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ただ、先天的に運命づけらている遺伝子もあるが、その発現には後天的な要因が絡むものもあるという。そのスイッチをオンにするかオフにするかは、環境や食生活といった様々なことがらに起因しているというのだ。
例えば、ほうれん草を食べる人の多くは、発がん性物質がもたらす細胞の突然変異を抑制することが可能になる。簡単にいえば、ほうれん草を食べることで、遺伝子そのもののの発現を変えることができるそうだ。
逆に悪い例では、いじめもセロトニンを運搬する遺伝子に悪い意味で影響を与える。
いじめは、その時期だけではなく、その人のその後の人生も変えてしまうのだという
いじめに加担することがどれだけ罪深いことか、教育にもいかしていくべきだろう。
また、ある特定の遺伝子が発現したとしても、その”表現型”には様々なスペクトラムがある。その表現型があまりに軽度なために、一般に見過ごされていることも多いのだそうだ。
そして、この表現型も変化しうる。
このような変化をエピジェネティックな変化というが、わたしたちがすることは全て遺伝子になんらかの影響を与えるらしい。
さらに興味深いことは、この”エピジェネティックな変化”は子孫にも遺伝するという。

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「遺伝子は、変えられる」というのも、また正しいのだ。

ことはメンデルのソラマメ理論のように単純ではない。白か黒かでは測れない。
親からもらった30億個の文字が連なった「継承物〜inheritance」には柔軟性があるということである。
今日の遺伝学のトレンドは、遺伝的に受け継いだものが何をするかだけでなく、エピジェネティックな変化を通じて複雑なシステムにどのように影響を与えるのかに移っているという。

個人で遺伝子検査ができるようになったことで、アンジェリーナのように、予め将来罹患する確率の高い病気の予防を講じることができるようにもなった。
しかし、反面で遺伝子情報をたてに、生命保険の加入を拒否されることもあるし、高額な保険料を課されるなど「差別」にあう可能性もある。結婚も叶わないというケースもでてくるだろう。
なんにせよ、良い面と同時に悪い面もあり、物事は遺伝子同様、多面的で良くも悪くも柔軟性があるのだ。
ああ、嫌だなぁ…と思う事柄があっても、大抵の場合その事柄は変わらない。変えられるのは、自分の受け止め方だけだと誰かが言っていたっけ。
しかし、自分の受け止め方を変えることは、それによって自分の遺伝子も変えられるということでもあるわけで、その種の相乗効果も期待できるということでもある。
ところで、今は全仏オープンテニスもいよいよ佳境だ。なにせナダルの全仏ラ・デシマ(V10)がかかっているので、ほぼ噛り付きでWowowを観ている(私はナダラー)
しかし、昨日のジョコビッチの無気力試合ときたら。彼はもともとグルテンにアレルギーがあり、同郷の医者の助言で食生活を見直したことでパフォーマンスがあがり、安定的にトップに君臨していた。
が、そのこだわりが高じすぎたのか、妙な宗教に入れ込んだせいか、菜食主義になったのだそうだ。そのあたりから、急激にメンタルもプレイも不安定になってしまった。
やはりりアスリートはお肉を食べたほうがいいのではないか?
多くの人によい食習慣が全ての人にあてはまるわけではないということも、本書には書いてある。
 
それはさておき、修造(あんな人に氏などつけない)が昨日も聞き捨てならないことを言っていた。
「錦織は天才で、ナダルは努力の人だ」
この言葉を聞くたびに、少々不愉快な気分にさせられる。というのも「努力<天才」を含んだ言い方に聞こえるのだ。全く失礼な。
正しくは、ナダルは才能も能力もある上で、より高みを目指し日々研鑽しているのであって、トップ選手は皆そうだと思う。
そもそも、彼の叔父さんはサッカーの元スペイン代表。トニコーチも元プロで、遺伝的にも彼はアスリートとしての能力が抜きん出ていることは疑いようがない。
それに、努力し続けることができるのは古今東西、成功者の共通点だ何かを才能と呼ぶのならば、この能力以上にふさわしいものはない。
今年の上半期のベストセラー本、「やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける」 に書かれているのもたぶんこのことだ。
で、オチは何かというと、、、
努力し続けることは、エピジェネティックなプラスの連鎖を生むのかもしれないなぁと思ったのだった。
 
 
 

 

 

 

 

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