死の先にもっていけるのは?老いと愛をテーマにした「日本人の恋びと」

これが予想以上に素敵な小説だった。
壮大な恋愛小説であり、歴史小説であり、ミステリでもある。

著者はチリの女性小説家イザベル・アジェンデ。本書は70歳を過ぎて上梓された小説だ。
こんな素敵な本を書くのはどういう人物か・・・と思ってググると、これまた想像以上に綺麗でチャーミングな女性。

小説の登場人物もその多くが人生の終わりに差し掛かっている。
物語の端々に「老いとはどういうものなのか」は描かれているが、あっと思うのは、身体の変化ではなく、その心境のほうだった。それは経験した人にしかわからない類のものだ。
「老年についての出版物は大抵が「机上の空論」、自己救済の手引き書やなにやかにやも、みな、ろくに年をとっていない人が書いている」というアルマの言葉にはっとさせられる。

このアルマ・ベラスコという女性が本書の中核を担う人物。80歳を過ぎた女性で、芸術家にしてサンフランシスコの名家ベラスコ家の女主人。
そんな彼女は、ある時を境に華やかな世界から身を引き、不釣り合いなほど質素な老人ホームに一人きりで越してきたのだ。
このホームで働くモルドバ出身のイリーナは彼女に気に入られ、個人的な秘書の役割を担うようになるが、アルマに秘密をかぎとる。
彼女には毎週クチナシの花と黄色い封筒に入った手紙が届き、時々そそくさと小旅行に出かけていくのだ。

イリーナの目を通して、アルマの秘密と過去は徐々に明らかにされていくのだが、それは単なる彼女個人の出来事にとどまらない。
彼女の家族が犠牲となったナチス・ドイツによるホロコースト、真珠湾攻撃がもたらした日系米国人の苦難に満ちた収容生活…
戦争にかかる歴史認識は見方によって全く異なるものになりがちだが、アジェンデのそれは日本人のそれに重なっている。だからこそ共感しやすい。
物語後半には、イリーナ自身の秘密も明らかになるのだが、そこにもテーマ性がある。

「酸いも甘いも噛み分けた」という言葉があるがまさにそんな小説だ。老いてこそ書ける物語というのは存在するし、だからこそ説得力も持っている。


作中の日本人庭師フクダが桜の花をみていう言葉に、「いまは綺麗だけど、この花は数日しかもたない。雨のように花びらは地面に落ちてしまう。でも、すてきなのはむしろ満開の花の思い出で、こちらは一年中、来年の春まで続くんですよ」というのがある。
死の先にもってけるのは、この「満開の花の思い出」だけなのかもしれないなと思う。

私はKindle版なのでモノクロだが、装丁にはゴッホの「花咲くアーモンドの小枝」があしらわれている。ゴッホの作品の中にあってはとても珍しい「よろこび」を表現している絵だ。他の絵のようにみていてその狂気に困惑させられることもなく、生命の歓喜に満ちている。

最後の最後にあかされた真実は、とてもとても素敵でこの絵を連想させるものだった。

 

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