英国の薔薇、20年目の真相。

昨夜、BSプレミアムで「アナザーストーリー運命の分岐点 〜ダイアナ妃真実の物語」という番組をやっていた。

ウエストミンスター寺院でエルトン・ジョンが歌った「Goodbye England’s Rose」はあまりに印象的で忘れられない。はやいもので、あの事故からもう20年だという。

彼女とともにベンツに同乗していたのは、エジプト人ドディ・アルファイド氏。
ドディの父親モハメド氏はハロッズや、あのパリ1区の高級ホテル、リッツも所有している大富豪だ。二人は結婚間近だった等、様々な憶測が流れた。

きな臭い陰謀説もあった。
当時ダイアナはドディ氏の子供を妊娠しており、将来の国王にエジプト人の血の入った異父兄弟ができるのを嫌った王室がMI6に命じ、それを阻止したというものだった。

番組では当時のダイアナの執事や親しかったカウンセラーが当時を振り返り、これまで語られなかった真実を明らかにした。
ちなみにこの元執事は今はロンドンで花屋を営んでいる。店にイングリッシュ・ローズを欠かすことはないそうだ。

ドディがダイアナにプロポーズしようとしていたのは事実らしいが、ダイアナにはそれを受ける気はなかったという。

上述の二人の証言によれば、その時ダイアナには他に意中の男性がいた。
ドディとのことは全てその男性の気を惹こうとする作戦に過ぎなかった。そして、その作戦は功を奏し成功しかけていたというのだ。

もしもあの夜、彼女がロンドンに戻っていたなら・・・

20歳で王室に嫁いだダイアナは、子供の頃からロマンティックな性格だったようだ。幼い頃両親が離婚した経験から、自分は絶対に大好きな人と結婚し、添い遂げると決めていた。
だが、結婚する前からチャールズにはカミラ夫人という愛人がいた。ダイアナの夢は結婚前から打ち砕かれていた。
様々な男性と付き合っては裏切られ、その度ごとにパパラッチに追いかけ回される一日々。

事故当時のダイアナがまだ36歳だったことに驚いてしまった。
当時は彼女のことを「中年」だと思っていたが、今の自分からみれば、まだ十分に若く美しく、恋に生きてもよい年齢ではないか。ダイアナの件に限らず、ここ20くらいで年齢に対するイメージは随分変わった。下手すれば老人ホームにだって恋は芽生える。

離婚後は、慈善活動に生きがいを見出しはしたが、彼女は最期まで純粋な愛を求めていた。「悲劇のプリンセス」という呼び名がふさわしい人生だった。

ちょうど今、歴史の証人 ホテル・リッツ (生と死、そして裏切り)という本を読んでいるが、その中でも、上流階級の人々は愛人や情婦その類のことに寛容だったらしい。結婚が家と家との結びつきのためのものだったからだろう。

彼女はそんな世界には純粋すぎた。

チャールズ皇太子がダイアナとの結婚以前からカミラにご執心だったのは周知の事実だったそうだが、家柄等の問題で彼女と結婚することは叶わなかったのだという。

彼がもし、エドワード8世のように王冠よりカミラを選んでいたらどうだったのだろうか。

「王冠を賭けた恋」が美しいラブストーリーとして語られるのに比べ、チャールズ皇太子とカミラ夫人の間柄には人々は冷ややかだ。
その容姿とダブル不倫をしていたという事実からか、人気のないカミラ夫人だが、シンプソン夫人もそう美人というわけではなく、エドワードと知り合った時は既婚だった。
エリザベス女王は90歳の今なおご健勝だが、英国民にはチャールズ皇太子よりも、ダイアナ妃に生き写しのウィリアム王子のほうが人気がある。

悲劇を乗り越えて英国王室も現代化した。ダイアナのサファイアを贈られたキャサリン妃が貴族階級出身ではないのも、旧世代の悲劇から学んだことのような気さえする。
それと比べると、民間出身の美智子様を選んだ陛下と当時の日本の皇室は開かれていたのかもしれない。とはいえ、皇后もご苦労はされたようだが。

フィクション以上にドラマティックなドキュメンタリーだった。
ダイアナに限らず、多くの人の人生にもその人生だけのアナザー・ストーリーがある。

 

 

ところで、ちょっとご無沙汰でした。。
どこかへ旅行してたわけでもなんでもなく(ハイシーズンには出かけらない)、ブログリニューアルを言い訳に引きこもっていた。

超初心者で知識が乏しいので、これが大変なのだ。
なぜ、そんなことをやろうと思ったのか自分でもわからないし、終わる気配もないが、もうあきらめた(苦笑)

梅雨かな?と思うほど涼しい日々は終わり、「暑さ」を理由に続・引きこもり中。
全米オープンテニスもまもなく始まる!

 

 

 

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