「平成細雪」を観てあらためて「細雪」を読んでみる。

NHKで「平成細雪」というドラマをやっていた。
谷崎潤一郎の「細雪」を下地に舞台を平成に置き換えアレンジしたドラマらしい。
4姉妹は上から、中山美穂、高岡早紀、伊藤歩、中村ゆりが演じている。キャスティングやら脚本には賛否あるだろうが、それよりなにより、のったりとした関西弁と華やかな着物に惹かれてしまう。

和服といえば、ついこの間、成人式の晴れ着の詐欺事件が起こったばかりで、ここ横浜でも大勢の新成人をむかえる女の子が晴れ着を着ることができなかった。もし急遽振袖の手配ができたとしても、振袖などプロでなければ着付けさせることなどできないし、当日はそれができる着付師は皆駆り出されているのでしようがない。
かくいう私も、大昔に習ったきりで、今では名古屋帯でさえ怪しい。

振袖でなくとも訪問着でさえも、一回着るのに何万円もかかるのだから、皆、めったなことでは着なくなるのは道理だ。

今、呉服業界はなかなか厳しいと聞くが、伝統伝統とばかり言い張ってないで、もっと気軽に着ることができるように、工夫すればいいのにと思う。作り帯などもっと普及させたらいいのに。

話を「平成細雪」に戻すと、このドラマを観たのは1話と2話だけ。
それというのも、少し調子を悪くして病院にいるため、2話以降は視聴がかなわない。新年早々、厄除け八方除けにまでいったというのに悲惨だが、嘆いたところで仕方ない。

なにかしら未練もあるので、本家本元、谷崎文学のほうを読んでみた。
青空文庫はなぜか上巻しかでていないが、Kindle版には安価な「細雪 上中下完全版」というのがあり、これがなかなか読みやすくていい。

最近はずっと新刊の翻訳物を中心に読んでいたが、やっぱり谷崎文学はいいなぁ。女性好みではあるけれど、女性視線とはまた違う彼の美意識が好きだ。すぐれたファッションデザイナーが男性であるのと同じかもしれない(ココ・シャネルのような例外もあるが)

 

本書は、谷崎が関東大震災後に関西に移り住み、次々と傑作を生み油が乗り切った時分に書かれたもので、当時の関西の中上流階級の暮らしぶりや風俗ものの考え方などが鮮やかに描かれている。加えて、ゆっくり上品なナレーションのような少し長い文体もそれを引き立てる。

本書のなかでも東京の忙しなさやせっかちさに触れられているが、常日頃、慌ただしく生活している分、のんびり雅びやかでさえある口調や、今では使わなくなったような言い回しがなんともなしにしみる。
日本語はこんなに綺麗な言葉だったんだなぁとさえしみじみ思ってしまう。
それとともに、所々「魚は明石の鯛が一番」など、食通の谷崎らしさものぞき、それもまたいいんだよなぁと食いしん坊の私などは思う。

小説では、次女幸子の目を通し、なんだかんだと嫁き遅れている三女の幸子の見合いや、奔放な問題児、四女の妙子のことなどが語られていくのだが、不穏ともとれかねない雰囲気と共にラストをむかえ、二人の妹の将来については読者に委ねられている。

幸子や妙子のそれからについては人それぞれ考えも違うだろうが、大方の意見が一致するのは次女の幸子が幸福なことだろうか。
蘆屋に分家を構えさせてもらい、学も品もある夫は幸子を大切にしており稼ぎもいい。妹の見合いの席では、「孔雀が羽を広げているような人と一緒だと、妹さん(雪子)が霞んでみえてしまう」と仲人から言われるくらいの容貌を未だ保っている。

幸子の実家の蒔岡家は、父親の代で没落してしたとはいえ、代々続く船場の大店であり彼女たち姉妹は家柄に誇りを持っている。
そんな家の三女雪子が見合いを繰り返しているのに、三十路を過ぎても一向に縁づかないのに加え、一番下の妙子は何かにつけ問題を起こすのだ。それが目下の幸子夫妻の悩みの種。
もちろん、蒔岡家の娘ともあろうものが三十路を過ぎても独身というのは聞こえが悪いということもあるが、幸子は幸子は自分が幸福だから、妹にも幸福になってもらいたいと願っているようにも思う。

人間というものは、自分に余裕がなければ人のことをそれほど心配したりかまったりはできないものだし。

物語は一事が万事、雪子と妙子の対比であるともいえる。典型的な箱入り娘で嫁き遅れの雪子と、翔んでる問題児の妙子。
個人的にはこの雪子は「食えない女」だ。雪子は京美人の母親似の純日本風な容貌で、性格も人見知りで声も小さいが、その割には強情で身内に対してはなかなか言うところもある。
今の東京でこそ、30歳すぎなど嫁き遅れでもなんでもないが、当時としてはかなり年増の部類で引け目を感じてもいいはずなのに、彼女自身、結婚相手に対する要求はかなり高い。しかもなにごとも身内にさえもはっきりと口に出して言わないという面倒くささだ。
実際問題としてちょっと私は苦手なタイプかなぁ…。だいたい、私に限らず関東の人間にとっては、京都人などにありがちな、口では「ゆっくりしていってください」といいつつも、「早く帰れ」というシグナルを送る、底のわからなさが苦手なのではないだろうか。
谷崎自身は、幸子の目を通して東京人のせっかちさ、直截さを嫌っていたようだが。

その反面、一番下の「こいさん」の妙子のことは私は嫌いではない。谷崎は少々妙子に厳しすぎるのではないかとさえ思うほどだ。
こいさんは常に自らの欲望につねに忠実だ。箱入りの幸子や雪子と違って、こいさんは父親が没落してしまい、姉たちがしてもらったような贅沢をさせてもらえなかったのも影響してか、少々狡いといえるくらいの実利的な面を持ちあわせてもいる。
その狡さと問題児っぷりを幸子は苦々しく思うが、多少狡いくらいでなくては、あの時代はもちろん今のこの時代だって女性がやっていくのは大変なのも理解できる。

さらにいえば、長女の鶴子と幸子も対照的だ。子沢山で生活に余裕がないが本家の誇りだけは捨てられない鶴子と、子供は娘が一人きりだが裕福な蘆屋婦人である幸子。
この幸子という人そのままのような人をたまたま身近に知っている。
その人というのが、元々いいところのお嬢様で裕福な夫に嫁ぎ、高齢になった今に至るまで華やかに優雅に暮らしている人だ。
その方にも色々とないわけでもないのだろうが、結局のところ、こういう人はずっと幸福であるという運命なのかもしれないなぁなどと見ていて思う。
ずっと高い水準で幸福な人もいれば、幸福と不幸の振れ幅が大きい波乱万丈な人生を歩む人もいる。

小説自体、時代も人々の価値観もこれから大きく変わろうとしていることも反映している面もあり、何にせよ、ものごとは移り変わっていくものなのだということをしみじみ考えさせられる。

今年の冬はいつになく寒くて辛い。寒いのは暑いのよりも好きだったはずなのに。はやく春がこないかなぁ…
あろうことか、ナダルも全豪棄権してしまった。

 

 

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