文学の秋だということで、この秋は横浜市大の公開講座に通っている。
とっているのは「谷崎潤一郎の世界」で、全5回の講義。
↑ 金沢八景の古民家。
今年は没後50年とあって、中央公論社からは新たに全集の決定版全26巻が順次出版されてもいる。立派だが高価だ。
ところで、谷崎潤一郎では、初期の自らの欲望ド・ストレート丸出しの短編が特に好きだ。
何がすごいというと、こんなド変態的に足フェチでマゾなのに、それを「美」と「芸術」に昇華させている。自分の欲望をその耽美な手法で描き、有無を言わさずその世界に引きずり込む。
ただ、昨日の講義によれば、谷崎は実はいわゆる「耽美派」というのとは本質的に異なるという。当時の芸術至上主義を標榜する芸術家たちは、功利主義を嫌い、世俗的快楽を批判する立場にあったが、谷崎は美食家であり、積極的に性的官能を追求し、お金儲けも嫌がらないタイプだったのだ。。
晩年の妻、松子さんは「あの人はお金がなければ、ないなりの生活ができる人だった」と話していたとか。一高から帝大という超エリートだった谷崎だが、プラクティカルな人でもあったのだろう。
理想と現実の違いに苦しむ人は多いだろうし、三島由紀夫などもその典型的なタイプだ。若くして衝撃的な死を遂げた三島とは対照的に、谷崎潤一郎は長生きをした。
そういえば、今年もノーベル賞候補にあがっている村上春樹だが、ブックメイカーのオッズは2位なんだとか。今年はどうだろうか。
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おはようございます。・・朝はちと寒い。
芸術の秋なのかぁ・・相場はもう真冬の様相でありますが。
しかし・・谷やんですか!・・でも何で?
何がSpenthさんを大谷崎の講座に向かわせたのか?
でも向学心のその向かう先もやっぱりセレブでSpenthさんらしいなぁ。
美食家というか、食いしん坊谷崎は日本で最高峰の作家でありますなぁ。
40代に入って著した『卍』から、60こえて『少将滋幹の母』あたりまでの作が特に大好きであります(後年の『鍵』とか『台所太平記』も偏愛)。
代表作『細雪』も好きだけど、傑作並ぶ著作にあってはいまいちかも。
エンタメ中心の読者である自分は、
最初期の猟奇と耽美に彩られた、
胡散臭くもあるような作品群も好みなのでした。
もっとも通俗風な乱歩の作品群の方がより好きですが。
ベリンダ・バウワーの著作はつづけて作品刊行されて、
しっかりファンを多く獲得したのですなぁ・・めでたい。
(自分はちょっと離れてしまいましたが、追いつきたいと思っております)
ではまた!
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naoさん、おはようございます。
確かに今朝は寒いですね…
日経も寒くならなきゃいいな
ゆうちょ上場関連銘柄は何をやっているのやら…
谷崎のような生き方は、理想ですね。
美食や快楽にストレートでありながら、現実的でもある。
貴族的にすぎたり、功利主義一辺倒ではつまらないですものね。
ただ、それには谷崎のような「天才」でなければ難しいのですが…
ことろで、この谷崎講座の講師の先生が面白い話をしてました。
幻冬舎の見城さんっていますよね?
例の「少年A」の本を出すきっかけになった…
彼は「人間の闇をストレートに作品にぶつける」のを良しとしており、ゆえに90年代幻冬舎創立当初は、
幻冬舎文学というジャンルが確立するほどの快進撃だったといいます。
だからこそ、少年Aは見城さんにまず話をもっていったのでしょう。
しかし、今は幻冬舎は少々辛い時期にあるといいます(出版社全てが厳しい状況ではありますが)
というのも、見城さんが発掘した闇をストレートに書いた田口ランディの「コンセント」のような直球な作品を書いていた作家たちが「行き詰まり、書けなくなった」からだというのです。もちろん、時代が変化したせいもありますが。
その講師の方曰く、初期の谷崎は自らの闇をストレートに作品に投影させていましたが、彼はあるときからそれを何かに投影させて作品にするという技を使うようになったといいます。
そのあるとき該当するのが、「金色の死」で、岡村くんは自らの欲望を全て現実のものとして死んでいくわけですが、この最後で「しかし、世間の人々は彼のような生涯を送った人を果たして芸術家と評価してくれるでしょうか?」と疑問で締めくくっているのです。これはとりもなおさず、谷崎本人に生じた疑問でもあり、だから本作は長らく谷崎本人が封印していともいいます。
それに気づき、打開策を見出せるところが、また谷崎の谷崎たる所以なのでしょう。
少し、強引な解釈でもありますが、面白いなと思って聞いていました。
ただ、私は初期のあの短編群にみられる生の欲望は、そこにしかない強さみたいなものがあり、好きですけれども…