デニス・ルヘインはたぶん一番好きな作家の一人だが、その作品は概して暗い。
パトリック&アンジーのシリーズも暗いし、真っ暗暗の「ミスティック・リバー」はもちろん、「運命の日」「夜に生きる 」「過ぎ去りし世界 」のコグリン兄弟三部作も明らかに闇を指向している。
「あなたを愛してから」もご想像の通り例外ではない。
これまでと明らかに違うのは、本書の主人公が女性だということだ。
レイチェルは母親がベストセラー作家の心理学者で、しかし父親の顔はおろか名前すらわからないというジャーナリスト。
母親との関係と自らのルーツに不安を抱いて育ち、母親が他界してからは父親探しに躍起になるが、紆余曲折を経て探しだした真実は残酷なものだった。
それでも結婚をし、ジャーナリストとして脚光をあびるようになるが、ある時自分を制御できなくなり全てを失ってしまう・・・
前半は父親しの物語。これが胸を打つ。
人間にとって自らのルーツは私たちが想像する以上に大事なものだ。第三者の精子提供で体外受精で生まれた子供の多くは自分のアイデンティティの崩壊に苦しんだり、心を病んでしまうこともあるのだという。
彼女にとって父親探しの旅は同時に自分探しの旅でもある。
ところが物語はそこで終わらない。
残酷な事実を受け入れてレイチェルは新たな一歩を踏み出すが、それが全ての崩壊につながっていく。
少女時代の母親との関係も考えさせられる伏線となっている。
彼女は曰く、「ちゃんと世話をしてもらい、きちんと食べさせてもらっていい家庭で育った」のだ。だが、一番肝心なものを与えてもらえなかった。
犠牲者意識が強く、だから自分から他人が離れていくことに常に怯えている。
湿り気と憂いを帯びた美しい調べに乗って、前半部分ではレイチェルという女性の人生が語られるのだが、これが響くのだ。
一転、後半はほぼクライム・ノヴェル。
ジェットコースターのように揺さぶられ急降下していく。この展開が許されるのは、これまでに十二分にレイチェルのことが語られているからだ。
プロットを重視しすぎると人物はおろそかになり、人物にこだわりすぎるとプロットが犠牲になるものだが、本書では前半部分と後半部分で転調することによって、その両方を成功させている。
ここからの仕掛けにはただ脱帽するばかりが、それで美しい旋律が崩れないのがまたすごい。さすがルヘイン!
この物語はニーチェの有名な「深淵をのぞくとき、深淵もまたお前をのぞいている」という名言を思い出させる。
深い穴を覗き込んでいると、ふっとそこに堕ちてみたくなるような気分にならないだろうか?
あとがきによれば、ルヘインは本書を「シャッター・アイランド 」と双子の関係にあり双方ともに「世界的な崩壊を体験することによって、自己も崩壊していく」と述べているというが、私はレイチェルに「夜に生きる 」のジョーを重ねてしまった。
「世界的崩壊」がなくてもレイチェルは夜を指向していただろうとも思う。
「世界に残っているのが、夜だけでそこから這い出る方法がなかったとしたら?そのときは、夜と友だちになろう」
この「闇への指向性」こそがルヘイン。これにどうしようもなく惹かれる。
私…くらいんですかね?
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