上野の東京都美術館でやっているムンク展にいってきた。
平日というのに結構混んでいて、関心度の高さを感じる。
(フェルメールのほうが混んでると思ってたのに・・・)
というのも、「叫び」の初来日だから。
あれ?こないだも「叫び」ってこなかったっけ?と思っているアナタ…
実は「叫び」は複数存在しているのだ。
ムンクは同じテーマを繰り返し描くのが好きな画家で、油彩、パステル画、リトグラフ、油彩(テンペラ)で描いている。
一番有名なのは最初に描かれた1893年の油彩画。リレハンメル五輪開会式当日に盗難にあい、ロンドン警視庁美術班によって奪還された。
初来日したのはもっとも後期に描かれた「叫び」でお目目がないやつ。
この絵の人物が叫んでいるのではなく、自然の叫び聞いた瞬間を描いたものだという。
今回はイヤホンガイドを使ったが、その解説のなかに、
「夕方散歩をしていると片側に町が見え、その下にフィヨルドがあった。
私は疲れていて気分が悪かった。足を止めてフィヨルドのほうを見ると、太陽が沈みかかり、雲は血のような赤に染まりつつあった。
自然が叫んでいるように感じた。自然の叫びを聞いた。
私は雲を血のような色に描いた。」
とあった。うろ覚えなのでちょっと違うかもしれないけども。
ムンクは「見えるものを描く画家ではなく、見たものを描く画家」「絵とは自己告白」と自ら語っている。
その絵はゴッホと共通するところもあり、彼よりずっとメランコリック・・・
やはり日照時間とか影響するのかな?
見ているこちらにも不安と狂気がせまってくるかのよう。
しかしゴッホとは異なり、生前に評価され、ノルウェーの国民的画家としての名声も得ているし、精神的に危うい時期もあったものの80歳まで生きてもいる。
バブル期安田火災(当時)が55億円で「ひまわり」を落札した時は、驚いたものだが、今となっては安い買い物だったとも言われている。絵の具一つ買うに苦労していたゴッホはどう思うのだろう?
この話題の「叫び」より、「マドンナ」「接吻」「森の吸血鬼」のほうが個人的には心惹かれた。これらは「叫び」や「灰」とともに「生命のフリーズ」という連作になっている。
特に印象的だったのは「接吻」
男女のキスシーンだが、その顔は一つに溶け合っている。
「愛とは個人の喪失に他ならない」という考えを持っていたムンクは、自らの創造性の維持のために生涯独り身を通したという。
女性からしたらとんだ地雷男だし、評論家によっては女性嫌悪の感さえあったというムンクさんだが、その実モテモテだったようだ。
若いころの自画像をみるとなかなかのイケメン。
「接吻」の女性は、当時交際していた人妻のミリーという女性がモデルらしいが、その後、上流階級のトゥラ・ラーセンという女性と深い仲になった。
彼女から結婚を迫られたムンクは距離を置こうとするが、トゥラは諦めなかったため決定的な事件が起きてしまう。
拳銃を手にトゥラはムンクに結婚を迫り、その時のもみ合いでムンクは左手の中指の一部を失ってしまうのだ。
痛みを紛らわすために酒に走ったムンクは、結局精神病院へ入院することになった。
それでも死ぬまで絵を描き続けたムンク。
精神を回復したのちに描いた「太陽」は明るい色調で、これまで彼の絵を支配していた悲壮感はまったくない。
「太陽」はオスロ大学の講堂にある壁画だが、展示されていたのはその習作的なものだ。
オスロのムンク美術館にもオスロ大学にも行ってみたいなぁ。
憂鬱、不安、絶望と死にあれほどとり憑かれていたムンクが、こんなに生命力と希望にあふれた絵を描いたというのは感慨深い。
会場エントランスには、4枚もの電子スクリーンが設置され、展示されているムンクの絵がいくつか映し出されている。面白い仕掛けもしてあるのでこちらもぜひ。
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