「レオナルド・ダ・ヴィンチ最後の謎 なぜ未完が多いのか?」 講演会に行ってきた!Part1

「ダ・ヴィンチはなぜ未完の作品が多いのか?」というテーマの講演会に行ってきた!

横浜から、はるばる電車を乗り継ぎ九段下まで赴いていったのだが、調べたら日本橋乗り換えが一番早かったので、久々に京急に乗ったら酔ってしまった。
首都圏では「赤い彗星」ともいわれている京急線…
飛ばし過ぎですから。
 

 
 
講演者は、美術史家のコスタンティーノ・ドラッツィオ氏。
このたび、河出書房新社から『レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密 天才の挫折と輝き』が出版されたことで来日の運びとなったのだ。
 
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場所は九段下のイタリア文化会館。もちろん通訳付きである(とはいえ、会場にいらした方々はイタリア語がわかっていた感じだった・・・
通訳してくださったのは、『レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密 天才の挫折と輝き』の翻訳者の上野真弓さんだ。
 
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美術史家であり作家であるとともに、テレビやラジオで活躍されるドラッツォ氏は、話がお上手で、上野さんとの息もぴったりだ。
 
孤高の天才のイメージが強いレオナルド・ダ・ヴィンチだが、意外にも苦労の多い「普通の人」だった。
 
 
下の絵は、ご存知レオナルド・ダ・ヴィンチの自画像。かなりお爺さんに見えるけが、60歳くらいのときのものだとか。
独特の長い髪に長い髭は、若いころからの彼の自慢のファッションで、お手入れも丁寧にしていたらしい(笑)当時としても、エキセントリックで目立つファッションをしていたという。
 
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そんな嗜好はファッションのみならず、絵画にもあらわれており、レオナルドは常に他の人ができない表現をしようとしていた。
 
 
例えば、「東方三博士の礼拝」という絵。当時のフィレンツェでは人気の題材で、多くの画家が描いている。
この絵の基本は、下のファブリーノの「東方三博士の礼拝」の構図で、左正面に聖母子がいて、行列を従えた三博士が描かれている。以降この構図は定番になり、多くの画家がこれを真似て描くようになっていたそうだ。
 
↓ファブリーノの「東方三博士の礼拝」
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↓レオナルドの未完の「東方三博士の礼拝」
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レオナルドの「東方三博士の礼拝」では、聖母子を中心に配置し、行列もない。
従来の典型的構図を打ち破っているばかりか、穏やかさ、エレガントさや華やかさは微塵も感じられない。レオナルドは華やかさよりも、「この世がこれからどう変わっていくのか」という驚きや衝撃を表現しようとした。
 
ジョルジョ・ヴァザーリは『芸術家列伝』で、
「レオナルドの作品に未完のものが多いのは、彼が完璧さを求めすぎたからだ」
と言っているが、それは違うとドラッツィオ氏はいう。
 
15世紀当時、絵には必ず注文者がいたのだが、レオナルドの絵は注文者に気にいられず、キャンセルされることが多かったのだそうだ。
上記の「東方三博士の礼拝」も、教会の依頼で描かれたのだが、下絵の段階でキャンセルされてしまったのだという。あまりに劇的すぎて、注文者が求めるものとは違いすぎたのだ。
 
 
 
続いても未完の「荒野の聖ヒエロニムス」
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この題材も、従来は聖ヒエロニムスを知的で高い精神背をかねそなえた姿として描かれるのが定番だった。だが、レオナルドは砂漠で修行を行う、より人間的でドラマティックな姿で描いている。
また、筋肉の描写などには、彼の解剖学の知識を感じさせる。
 
この「荒野の聖ヒエロニムス」には面白いエピソードがある。
レオナルドがこれを下絵同然の段階で放棄した後、この絵は400年くらい行方不明になっていた。それを発見したのが、ナポレオンのおじにあたる枢機卿だった。
目利きだった彼は、掘り出し物を探してローマの骨董屋を回っているときに、あるタンスの扉が並外れた技巧で装飾されていることに気づく。
早速タンスを手に入れたが、絵はタンスの仕様にあわせ、中を覗く穴が開けてあったのだ。ちょうど聖ヒエロニムスの顔の部分だった。その欠けた部分を求め、枢機卿はローマ中を探しまわったのだが、聖ヒエロニムスの顔は靴職人の踏み台に打ち付けられてたのだという。
ナポレオンのおじさんのおかげで、今、ヴァチカンの絵画館でこの絵を観ることができるのだ。
初期のレオナルドの作品がいかに評価されていなかったのかを物語るエピソードでもある。
 
そうなのだ。レオナルドは若いうちから大成功を収めた芸術家というわけではなかったのだ。当時のフィレンツェの最高権力者ロレンツォ・デ・メディチも、システィーナ礼拝堂の装飾画家を派遣する際、レオナルドを外している。彼はロレンツォのお気に入りというわけではなかった。
 
メディチ家の宮殿に入ることのかなわなかったレオナルドは、ミラノ公に取り入ろうとした。
その際、自分でしたためた自己推薦状を携えていったのだが、そこには主に軍事技術者としての能力が列挙してある。芸術家としてではなく、軍事技術者としていかに優れているかをアピールしたのだった。
 
ミラノ公から依頼があったのは、レオナルドがミラノに来て10年後のことで、その依頼とは騎馬像の製作だった。彼は従来にない、美しく、斬新なデザインの騎馬像を製作しようと研究を重ねる。
その巨大さゆえの製作工程の困難さや、戦争でブロンズを失ってしまったことにより、これもまた未完になってしまった。
 
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未完ばかりのレオナルドになにか親近感が。

しかし、そんなレオナルドがついに完成させたのが、かの有名な「最後の晩餐」なのである。
 
Part2に続く

 

 

 

 

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