ウクライナ侵攻にみる「プーチンとロシア人」

ロシア研究の第一人者とも言われる、北海道大学名誉教授、木村汎氏のプーチン本。2018年に上梓された本だが、現在進行形でウクライナ侵攻を読み解くにも役に立つ。

プーチン本といえば、フィオナ・ヒルの「プーチンの世界」も壮大で面白かったが、こちらはロシアの国民性からプーチンその人の人格に迫るアプローチ。
各々のロシア人とプーチンはまた別ものだから、そのアプローチはどうなのかという人もいるだろうが、これがそうでもない。ロシアだからこそのプーチンで、プーチンの存在こそのロシアなのだ。

木村氏曰く、ロシアはプーチンによる準独裁(一応はプーチンは国民に選挙で選ばれている)であり、ウィストン・チャーチル曰く、「ロシアは謎(riddle)の中の謎(enigma)に包まれた謎(mystery)であるという。
私たち日本人の常識と、欧米のそれは微妙に異なるところがあるが、ロシア人のそれは大幅に異なる。

ロシア人一筋縄ではいかないのは、一つにはその環境と歴史に要因があるという。
欧米と比較しても比較にならぬほど長く厳しい冬は、「長いものには巻かれろ」的思想を育む。加えて、ロシア人は大きいものをやたらと好むギガントマニアだという。これもロシアという国土の広大無辺の大地、人間を圧倒する厳しい気候と、弱肉強食の論理が支配する森林が影響を及ぼしているという。
大きくて強いものに対するロシア人の崇拝は、政治にも及ぶために、準独裁を続けるプーチンその人の存在は、ロシア人にマッチしているのだ。
GDPそれ自体で見ると、ロシアは韓国にも及ばない小国といえるが、世界にみるその存在感は小国のそれではない。それはひとえにプーチンその人の存在ゆえだという。

日本人からすると意外だが、あのスターリンはいまだロシア人に人気があるのだという。逆に、ロシアに民主化をもたらしたゴルバチョフやエリツィンは不人気なのだそうだ。
この不人気にも理由があって、ロシアは民主化の過程で同時に資本主義化も遂げた。しかしロシアにおける資本主義化は、強奪資本主義とも言われている。コネと力のあるものがよってたかって国家の財産を奪い、彼らがオリガルヒとなり富裕になった反面で奪われた国家は貧しくなってしまった。オリガルヒとその身内を除くロシアの一般庶民にとっては、民主化は良い結果をもたらさなかった。
共産主義、独裁体制下の国家が民主化するパターンは総じて不幸な結果に終わることが多い。

今回のウクライナ侵攻に際しては、侵攻した時点でロシアが悪いが、個人としては、どうしてゼレンスキーはプーチンを挑発したのだろう?と思っていた。

メディアはほとんど報じないが、ウクライナがNATOやEUに加盟できないことは最初からわかっていた。ミンスク合意を反故にしドネツク、ルンガスクの自治を脅かせば、プーチンに侵攻の口実を与えることも明確にわかっていたはずだ。
ロシアには、プーチンという前時代的な野望を持つ独裁者がおり、核も持っており、過去に他国への侵攻も何度もある。
マッチョイズムな隣国の独裁者の思考は、他者には変えようがない。彼をその座から引きずり下ろせるのはロシア国民だけだ。
どうしてもっと賢く立ち回らなかったのだろう?

家や街を焼かれ、国を追いやられて難民と化したウクライナ国民はとても気の毒に思うが、今の可哀想一辺倒な感情論だけの報道にも少々疑問も感じてしまう。

侵攻したロシアは悪だが、ウクライナも全くの善というわけでもない。こうしたことは本来、二元論で片付けることはできないし、感情に流されてウクライナに過度に肩入れし過ぎれば、日本の足元も危うくなりかねないような。
何しろ、日本はエネルギーも食料も輸入頼み、自分の身も自分で守れず、進行形で衰退に苦しんでいる老人国家なのだ。

最も都合の悪いことに、本書には、プーチンのこれまでの行動からみられる闘争哲学は、「闘う時は最後まで徹底して闘う」ということらしい(もう勘弁してよ…)
経済制裁によって早晩ロシアは破綻し侵攻どころではなくなるとマスコミはいうが、そうだろうか。若い世代はいざ知らず、彼らは貧しさにも慣れている。しかも、ロシアはエネルギー資源も食料も自前で賄うことができる。

本書の「交渉は武器」の章は、非常に興味深い。
ウクライナ危機の結末がどうなるかは最後までわからないし、今また停戦の場も設けられるというが、ロシア人との交渉は最後の最後まで気を抜くことはできない。
かつて田中角栄、ブレジネフによる日ソ共同声明では、北方領土の問題を声明文に書き込むことで解決の緒にしかかったことがあったが、最後の最後、ロシア側の意向でたった一字を加えることで反故にされたという。

 

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