他人からみた自分と自己認識の乖離「白い悪魔」

タイトルの通り、自己認識と現実の人となりがいかに乖離しているかを描いたジョン・ウェブスターの戯曲「白い悪魔」をモチーフにしたノワール小説。

モチーフにしているというか、時代設定が異なるだけで登場人物や彼らが果たす役割等々、ほとんど同じと言っても過言ではない。
ただ、現代のイタリアを舞台にしているので、旅情を誘い、ノワールでありながらも雰囲気小説に仕上がっている。

いかにも絵になりそうで映像向き。

白い悪魔 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

主人公は元女優のヴィッキー、通称ヴィットリア。
物語は終始彼女の一人称で語られる。
ヴィットリア曰く、彼女は元女優だが、実際には女優としてのキャリアはないに等しい。ある意味、信用できない語り手ではある(笑)

彼女によると、”災厄に巻き込まれるような形で”二人の夫を立て続けに失い、今はアルゼンチンの地でひっそりと暮らしている。

ことの起こりは、かなり年の離れた夫とアメリカからローマにやってきたことだった。
野心家でヴィットリアそっくりの美しい兄ジョニーの紹介で、ローマの有力者オルシーニと知り合った彼女は、彼と不倫関係になる。
ヴィットリアには年上の夫が、オルシーニには国民的女優の妻イザベラがいるダブル不倫だった。
しかし、ヴィットリアの夫に続き、イザベラまでもが謎の死を遂げる。
世間はヴィットリアとその兄ジョニーに疑いの目を向けるが・・・

 

ヴィットリア自身は微塵もそう思っていないが彼女とその兄が疑わしいことは言うまでもない。
しかもこの兄妹、何やらあやしい関係なのだ。例によってヴィットリアご本人はそうは言わないが。

日本でも夫が次々と不審死した女の事件があったが、それをちょっと思い出させる。
ただ、あの「後妻業」の女は確信犯タイプだ。それだけにヴィットリアのようなタイプは余計タチが悪い。

本書の冒頭にある、ジョン・ウェブスターの「罪などというものは、それを隠す術を知る女には存在しないのだ」という言葉が、全てを言い表している。
どんなに客観的に怪しくとも、自分自身が信じていないことは(自分にとっては)事実ではないのだから。

翻って、自分はどうだろうかとちょっと考えてみる。
犯罪行為はさておいても、自分が認識する自分と他人が認識するそれは、大体において乖離しているものだ。
別に他人からどう思われようとも、自分は自分と割り切って生きられれば楽だが、とかく他人の目を気にしてしまうのが日本人の悲しい性なわけで(苦笑)

 

 

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