プラハの墓地 / ウンベルト・エーコ

トルコの空港やバングラディッシュでテロが起き、英国はEU離脱を決め、まだ2016年は残っているというのに色々ありすぎる。
この上、もしもトランプ大統領まで誕生しようものならどうなることか。

世界は混沌の最中にあり、後で歴史を振り返ると2016年の一連の出来事はその序章だったということになるのだろうか。

世界は憎悪と陰謀で成り立っているようにすら見えるが、本書「プラハの墓地」のテーマもその「憎しみと陰謀」だ。

The Prague Cemetery 
 
さて、物語の舞台は19世紀のヨーロッパ、主人公はシモーニーニという人物だ。
シモニーニは祖父の影響でユダヤ人を嫌悪している。
イエスズ会、フリーメイソン、そして女、シモニーニはこの世のあらゆるものを嫌悪し、「我憎む、ゆえに我あり」で67年の人生を生きてきた。彼が唯一愛しているのは美食のみだ。
 
そんなシモニーニは、ある朝、自分のものではない聖職者の服を着て、曜日を勘違いしていることに気づく。しかも火曜のはずが水曜なのだ。彼は外側から自分を眺めているような気分に襲われる。
文書偽造を生業にしている彼の書斎の奥には、通路がありそれを辿ると見知らぬ部屋にたどり着く。そして、そこには、ダッラ・ピッコラ神父という人物による書き付けが。それには「何もかもが現実離れし、自分が自分を観察している他人のようだ」とある。しかし、ダッラ・ピッコラ神父とは誰なのか。
 
おぼろげな記憶を手繰りつつカピタン・シモニーニは過去を綴りはじめる。
幼い頃、過ごしたトリノで祖父にどのような教育を受けたか。いかにして文書偽造の世界に足を踏み入れることになったかを。
そして偽造の腕を買われ秘密情報部と関係を持ったのかを。プラハの墓地の版画から悪辣な着想を得て、いかにして「史上最悪の偽造文書」として名高い「シオン賢者の議定書」を作りあげたのかを・・・。
 
 
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私は世界史に疎いので、エーコのこの本を読みながら欧州史を勉強させてもらった感じだ(笑)
名前だけは知っていた「シオン賢者の議定書」が果たした役割も、その内容も詳細に知ることができた。(本書にでてくるものはシモニーニを除けば全てが事実)
たったひとつの偽文書が、ユダヤ人にとって筆舌に尽くしがたい災厄をもたらしたという事実は、フィクションを凌駕している。
 
 
ピカレスクといえばそうなのだろうが、実際にシモニーニもスパイとして暗躍することもあってスパイ小説の趣もある。
また、オカルトめいた黒ミサや、二重人格等、ケレン味もあり、読み手の興味をひく。
物語の随所に挟まれているエーコ自身のコレクションの挿絵の数々も、なかなかのものだ。
 
シモニーニとダッラ・ピッコラの関係もミステリ的で同時に感慨深くもあった。
冒頭からレイシスト丸出しで悪態つきまくりのシモニーニは、決して愛すべき人物ではない。しかし、ダッラ・ピッコラ神父との秘密により人間味も加えられてもいる。
確かに彼は悪人には違いないが、良心のかけらは持ち合わせてはいるのだ。
 
「我憎む、ゆえに我あり」というのではあまりに悲しい。
誰もがそれをわかっているはずなのに、21世紀の現在もまだその種の「憎しみ」は繰り返される。
ちょうどこの本を読んでいる最中に、アメリカで黒人射殺問題が立て続けに起きたが、それらはその最たる例といえるだろう。
 
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全体的に苦々しい物語なのだが、それを救っているのはシモニーニが唯一愛している「美食」の数々。牛肉のバローロ・ワイン煮込み、ピエモンテ風肉詰めパスタ、アーモンド菓子。
亡くなったエーコもイタリア人らしくまた美食家だったのだろうなぁ。
 
河出書房から刊行予定だという遺作「Numero zero」も楽しみに待ちたい。
今は亡き我らが美食家の知の巨人に感謝を・・・
 
 

 
 
 
 

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