縄文杉トレッキングはお天気に恵まれ無事に目的を果たすことができたけど、今日のお天気はビミョーっぽい・・・
しかも、案の定筋肉痛w
なのでこの日はゆっくりスタート。
午前中はホテル周辺をお散歩し、午後から屋久杉自然館に行くことにした。
ホテルのお散歩マップ。
かなり手入れされた庭園があっていろいろな花が咲いている。
サツキかな?ちょうど終わった時期かな。
いかにも南国っぽい花
バナナも!
そしてやってきました、屋久島自然館。
昨日の縄文杉日帰りトレッキングのガイドさんが是非是非行くべきと力説してらっしゃったので。
建物の前にはかつて屋久杉を運んでいたトロッコの展示。
入場料600円だったかな?
屋内は土足厳禁。トレッキングシューズの人も多いからドロドロになるからでしょうね。
ここでしばし屋久杉と屋久島のお勉強。
本当は、縄文杉トレッキングの前に来るべきだったのだけどw
原寸大の縄文杉のタペストリー
屋久島自体の歴史も学べる
後日、島内一周をしている時に田んぼも見かけたけれど、当時稲作はこの島では盛んではなかったのかな。というより、ほぼ山岳なので農地もないし、農業向きの土壌でもなさそう。
屋久島を支配していたのは薩摩藩の島津氏だが、主に財政上の理由から、藩の儒学者である泊如竹の助言で屋久杉の伐採が始まったと言う。屋久杉は平木として利用できるものを上納させ、米と交換していたという。
明治期に入ると、屋久島の森林は国有林化される。
屋久島の人々は島民への帰属を争い裁判を起こすが敗訴。
山師と呼ばれる屋久杉伐採にかかわる人々は、営林署の職員となり、小杉谷集落には133世帯540もの人々が暮らしていたと言う。
日本の経済発展とともに輸入材が増え、1970年には小杉谷事業所は閉鎖。時代がくだるとともに森林保護の声の高まりにより伐採禁止となった。
以降は、倒木や土埋木を搬出することのみ可能で、大きな木材をヘリコプターで運搬する様子の映像なども見ることができる。
今では土埋木や倒木も搬出禁止となっている。
伐採も土埋木の搬出すら終了した現在、屋久杉の工芸品はとても希少価値があるのは当然。
ホテルのお土産物屋さんにも、屋久杉のお盆が置いてあったけれど、消費税だけで6万円だった・・・
この抹茶碗なんかどれくらいなんだろう?
屋久杉の所有を巡っては、明治政府と島民の対立があったりと、思うところもあったけれど、国有林として管理さフリフリいたからこそ今の屋久島があるのよね。
伐採全盛時代もあの縄文杉が切り倒されなかったのは、あまりに節くれすぎて木材としての価値が低かったからとか。
厳しい環境を、気の遠くなるほど長期間ひたすら耐え抜き、ごくごく少しづつ大きくなっていった屋久杉たち。
色々と感慨深いな。
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