関門海峡プチ・トリップ1〜歴史とふぐの街、下関に行ってきた!

「ぶらタモリ」に影響されて下関に旅行してきた。

本州最西端に位置し海峡を挟んで九州と向き合っている下関は、古くは源平船合戦や巌流島の闘い、日清講和条約などの舞台になっている。
そのため見所もたくさん。

羽田から山口宇部空港へは1時間半の空の旅。

 

山口宇部空港に着くと早速「ふぐ」がお出迎え。当地では福にかけて濁らずに「ふく」と呼ぶのだそうだ。

空港と下関を結ぶリムジンバスの内装も「ふく」模様。

 

宿に荷物を預けたら早速観光開始。
観光案内所で関門海峡・浪漫マップをゲットしてイヤホンガイドを借り、関門海峡エリアの観光アプリ「COMEON KANMON」もスマホにDLして準備万端。

初日の観光コースは春帆楼赤間神宮からみもすそ川公園にむかい、そこから「関門トンネル人道」を通って九州サイドの門司へ行き、門司港から連絡船でまた唐戸に戻ってくるというルート。

 

伊藤博文ゆかりのふぐの名店、春帆楼は日清講和会議が開催された場所。
その敷地内には日清講和記念館があり無料公開されている。

そのすぐ隣は赤間神宮がある。昔、下関は赤間関と呼ばれていたのだそうだ。
ここには源平舟合戦で源氏に敗れ、関門海峡に沈み亡くなった安徳天皇が祭られている。安徳天皇は平清盛の娘(二位の尼)と高倉天皇の第一子。つまり清盛の孫。

関門海峡を一望するこの赤間神宮は珍しい竜宮造りだ。
生き残った安徳天皇の母である二位の尼の「浪の下にも都の候ぞ」という思いからこのような華やかなものになったのだそうだ。
境内には平家一門を祀る塚や、小泉八雲の「耳なし芳一」の像もある。

「平家にあらずば人にあらず」とは平清盛本人ではなく彼の弟が放った言葉だそうだが、「驕れるもの久からず」
日産のゴーン会長逮捕が騒がれているが、いつの世もこれだけは変わらない。

すぐ近くには戦国武将、小早川隆景の菩提寺、引接寺(いんじょうじ)もある。この寺は日清講和条約の際、李鴻章ら清国一行の宿泊場所として利用されたそうだ。

寺の大部分は大空襲で消失したが、この三門(山門)だけは焼けずに残った。

天井部分に施された龍の彫刻は名左甚五郎作とも言われている。

 

みもすそ川を目指して海峡沿いの国道9号線をテクテクと歩く。

こんなところにも神社があった。
国道9号線を挟んで海峡へと通じていて、

 

おお・・・関門橋が近い。下からだと迫力があるな。

壇ノ浦に到着。平知盛と源義経の像とともに、タッキーこと滝沢秀明さんの手形もあった。

 

国道を挟んで向かい側には関門人道トンネルの入り口がある。
ここから歩いて九州側へ!

続く。

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