ドクター・スリープ / スティーヴン・キング

『シャイニング』のダニーには”REDRAM”という文字が追いかけてきたが、私には目下、”ギリシャ”が立ちはだかっている。
破綻問題のせいでドーンとやられた・・・oh

 

ところで、本書『ドクター・スリープ』 『探偵は壊れた街で 』同様、先のコンベンションのビブリオで紹介されていた作品。

あの『シャイニング』の続編くれば、読まないわけにはいかない。
キングというワードだけで私は自動購入してしまうので、敢えてビブリオで投票しなかったが、やはり出来はこっちのほうが数段上だった。

本書を読むにあたっては『シャイニング』は大前提だ。とはいえ、『シャイニング』自体かれこれ36年前の本なので映画でしか知らないという人も多いのだろう。
こういう時、意外にきめ細かいのが文藝春秋社という会社なのだ。ちゃんと『シャイニング』もKindle版で出てしてくれている。

できれば、これは映画でなく小説で読むべきだ。映画は映画でジャック・ニコルソンの怪演が迫力だが、キング本人も、映画ではなく”原作”こそが”トランス一家の正史”なのだと言っているのだから。

 

 

  

『シャイニング』ではわずか5歳だったダニー(ダン)・トランスは、長じて中年になっている。
ダニーは大人になっても自分は決して酒は飲まないと信じていたが、現実は違った。酒浸りになり各地を転々とした挙げ句、最悪の経験をしたダニーは悪夢に苦しむ。

そんな時、自分の内側から聞こえてくる。
「お前さえ望むなら、こんな暮らしをしなくてもいいのに・・・」

その声に導かれたダンは、酒を断ちやり直すため、ニューハンプシャーの小さな田舎町フレイジャーに落ち着く。そこでアルコール依存症の会に入り、ホスピスで働きはじめるのだった。
子供の頃ほどではないが、ダンにはまだ”かがやき”の力があり、酒をやめて以来それは復活していた。ダンはそれを用いて死に行く人々に安らぎを与えていた。

そんなダンにある女の子が接触してくる。彼女とダンの出会いは、彼女がダンの部屋の黒板にメッセージを書いたことから始まった。
彼女の名はアブラ。ダンの住む町から30キロほど離れた町に生まれたアブラは、生まれた時から強烈な”かがやき”を持っていた
アブラにも“トニーという秘密の友人”がいたのだ。幼い頃のダン同様に。

一方、”真結族”(トゥルーノット)と呼ばれる謎の集団は、アメリカ各地をキャンピングカーを連ね旅していた。彼らは遥か太古から存在している人間ではない者たちだ。一族を束ねているのは、シルクハットが目印の美女、ローズ・ザ・ハット。

彼らは”かがやき”を持った子供たちの命気をすすり、その命を長らえてきた。だが、かつて200人を誇った”真結族”も今は残り少なくない。圧倒期に命気が足りないのだ。彼らにとっては死活問題だ。

そんな時ローズは、遥か遠くから自分を覗き見ている存在に気づく。それは女の子だった。しかもこれまで見たこともないほどの量の命気を持っている。
なんとしてでもあの子を捕まえなくては、とローズは決心する。

アブラは自らに迫り来る危険に気づくが・・・

あとがきでキングは、「人は変わる。『ドクター・スリープ』を書いた男は、『シャイニング』を書いた気のいいアルコール依存者とは別人だ」と言っているが、なるほど『シャイニング』と『ドクター・スリープ』では雰囲気がまるで違う。
しかしそれでいて、ストーリーは完璧に繋がっている。

『シャイニング』で重要な役割を果たした”忘れていたこと”もまた形を変えて甦ったりもしていて、まさに、ぐるりと回って元どおり。『シャイニング』と本書、二つ揃って初めてこの“トランス一家の正史”は完結なのだ。

『シャイニング』には「父子三代にわたるアンビヴァレンス」があると訳者の方が言っていたが、本書『ドクター・スリープ』には、それは何なのかという明確な解答がある。
それは、各々のミドルネームにみることができるが、各々のそれは作中、たった一度しかでてこないので留意して読まれたし。(私は探すのに苦労した!)

キングの作品でいいところは、その根底に愛情が感じられるところだ。作者本人の人となりが感じられるというか。そしてそれは、作を重ねるごとにそれは強くなっているような気がする。

 

Spenth@: 読書と旅行、食べることが好き。