美味礼讃 / 海老沢 泰久

本書は辻調グループの創設者にして、フランス料理研究家の辻静雄の半生を描いたノンフクションノベルである。

先日あるフレンチレストランで、友人がシェフとこの本で盛り上がっており、面白そうだったので読んでみた次第。
新しい本ではなく、辻静雄氏も著者の海老沢氏もすでに鬼籍に入っている。
 
辻調グループといえば、なんといっても「料理天国」である。1975年から92年まで続いた超長寿テレビ番組なので、若い方でもご存知かもしれない。
実際には辻氏はこの番組に出ておられないのだが、私はなぜか勝手にでっぷりしたオジサンだと思い込んでいた。服部栄養専門学校の服部幸應氏や、帝国ホテルの元総料理長だった「ムッシュ村上」とごっちゃになっていたのだ。
 
ところが、画像検索してみてびっくり!
 
 
かっこいいじゃないの!
ああ、これは彼女が好きなやつだ!と大いに納得した(爆)
時々、こういう何でも「持ってる」というお人はいるものです。
 
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本を読むことは、それ自体が楽しみであるとともに、効率的に知識が得られる手段でもある。しかし、実際に体験してみなければわからないことは多い。
「百聞は一見にしかず」というが、自分の目て、聴いて、体験するのとでは全く違う。食することはその最たるものだ。
だから旅行というものは楽しいのだろう。
 
 
まだ日本に本物のフランス料理を味わった人がいなかった時代、辻静雄はフランスに渡り来る日も来る日も食べ続けたという。彼は料理人ではなかったが、まず本物を知らなければという徹底した探究心を持っていたのだ。それが学校成功の礎となった。
 
フランスの三ツ星レストラン「ピラミッド」の女主人、かのポール・ボキューズと、彼の人脈は華々しいが、それもこれも、彼が「食べること」を探求しようとする人間だったからだろう。
奇しくも同じタイトルの著書を持つ食通・ブリア=サヴァラン曰く、世の中には食べるということに関して二種類の人間がいるという。ただお腹がすいたから食べるという人間と、味をよく噛みしめ楽しんで食べる人間だ。
お腹がしいたから食べる派の私としては、恥じ入るばかりだ。
 
静雄氏の容姿や人柄もあるだろうが、フランス人はその二種類の人間を厳密に区別することに、非常な熱意を燃やしているという。だからこそフランス料理は世界に冠たる料理となったのだという。
 
また、良い料理人というのは日々進化しているし、何より向上心を持っている。
ファッションや文学と同様に、料理にも流行があるのだ。
求められるものは時代とともに変化するし、それに柔軟に対応できる料理人のみが生き残れる。
 
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学校をいかにして大きくしていったかのプロセスは小説以上に小説らしい。
 
しかしそれ以上に、共感したのは彼が感じた孤独だった。
彼は私のような者とは違い、十二分に成功を収めたし、誰がみても幸福で満たされていてしかるべきだ。しかし時折どうしようもない虚しさに襲われる。妻からは「あなたの悩みは、王様が自分は羊飼いじゃないと嘆くようなもの」とさえ言われる。
 
彼の虚しさの根源には、最高の料理というものは、結局は限られた人のためのものということがあったのだ。
ガストロミーは、豊かになった現代日本でさえ、ごく一部の人のためのものだ。辻調理師専門学校では、常に最高品質の材料を使い最高の料理を教えていたが、静雄氏は、安くて美味しいラーメン屋のほうがよほど社会に貢献しているのかもしれないという思いが頭を離れなかったのだという。
 
だが、彼が自分自身を「受け入れ」心が解放されるところで、この物語の幕は閉じる。哲学的ともいえるこのラストの、この安心感。
 
これこそが、本書を単なる一人の実業家の成功譚でもなければ、単なる料理小説に陥らせない決め手だった。
 
自分は「羊飼いのくせに王様ではない」と日々嘆いているが、まず、それを「受け入れ」なければ何もはじまらないのだろうなぁ。
 
 

 

 

 

 

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