最後の晩餐の暗号 / ハビエル・シエラ

「あなたがたのうちの一人が、わたしを裏切ろうとしている。」
これは、ヨハネによる福音書13章にあるイエスの言葉だ。

イエスが弟子たちにこの言葉を告げるこのシーンを描いたのが、ダ・ヴィンチの傑作「最後の晩餐」だと言われている。

この絵は、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にあるのだが、昨年の旅行では残念ながら見ることができなかった。ドォモからそれほど遠くない場所なのだが、見学時間にちょっとだけ間に合わなかった。

次は南を中心に回りたいと思ってるけど、またミラノも行きたいな。
a cena secreta

さて、本書はこの「最後の晩餐」にレオナルドが託した謎に迫る歴史ミステリなのである。

物語の舞台は、悪名高いボルジア家出身の教皇、アレクサンデル6世の治世のミラノ。
1497年、ミラノ大公の若き妃が急死する。その頃、ローマにはミラノの「予言者」と名乗る匿名の者から頻繁に手紙が届けられていた。「予言者」を名乗る者からの手紙には、どれも最後に謎の7行詩が添えられていた。だが、大公妃急逝の直後に届いた手紙にローマは驚愕する。

問題の手紙には、大公妃亡くなったことで、ミラノ公はますます異端思想にのめり込むに違いないと書かれていたのだが、その手紙の日付は大公妃が亡くなる3日前のものだったのだ。

「予言者」は誰なのか?かねてからミラノ大公の奔放さは懸念されていたが、もはや無視はできぬ事態判断し、アゴスティーノ神父がミラノに派遣される。
アゴスティーノ神父が逗留するサンタ・マリア・デッレ・グラッツェ修道院では、ダ・ヴィンチが「最後の晩餐」を完成させようとしていた。

その壁画にアゴスティーノは息を飲んだが、隻眼の修道院長秘書はそれを「悪魔の作品」と蔑む。この絵には聖書との相違点や、曖昧なほのめかしがあまりにも多すぎるのだ。

そんな時、忌まわしい事件が起きる。折しも大公妃の葬儀の当日、修道院司書の遺体が発見されたのだ。彼は「最後の晩餐」のユダのモデルを引き受けていたが、まさにユダと同じように首を吊られていた。
司書の死は自殺なのか、それとも。
そして、ダ・ヴィンチは「最期の晩餐」に何を託そうとしているのか。

javier sierra

ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、謎の多い絵画としても有名だ。
まず、宗教画でありながら、イエスや使徒たちの頭上に光輪が描かれていない。従来のキリスト教美術ではあり得ないことだ。
また、裏切り者のユダだけが孤立した構図れ描かれることが常であったのに、レオナルドの絵では他の弟子と同列に座している。おまけに聖ペテロはナイフを隠しもち、ヨハネは女性にしか見えない。
何よりイエスとユダは同じ皿に手を伸ばそうとしており、この絵ではユダが裏切り者ではないようにさえ見える。

ダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」も本書同様、「最期の晩餐」の謎をテーマにしたエンタメで、映画化もされ世界的に大ヒットした。
ダン・ブラウンほどエンタメ寄りではないので、万人受けはしないかもしれない。例えば主人公が命を狙われつつ謎解きに挑むといったような趣向はなく、ごくストレートに絵画の謎に挑んでいる。
限りなく真実に近いかもしれない歴史ミステリというのが一番しっくりとくるだろうか。

著者ハビエル・シエラは3年の月日をかけて調査研究を行っており、且つ登場人物もほぼ実在の人物で、残された文献に沿い描かれているため、ノンフィクション的雰囲気が濃く漂う。
訳者の方の解説によると、スペイン人は無類の歴史好きということもあって、ハビエル・シビラはスペインNo.1のミステリ作家だという。
ただ、我々日本人は、一部を除き、それほどキリスト教美術や歴史に親しんでいるわけではない。ある程度の常識ありきで描かれている部分もあるので、そこは読む人を選ぶかも。

 

 

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