美しき廃墟 / ジェス・ウォルター

2012年の全米ベストセラーのジェス・ウォルターの美しき廃墟を読んでみた。
私も以前から気になってはいたのだが電子版がないのだ。仕方なく紙の本を買って読んだのだが、これがその不便さを忘れさせる素敵な物語だった。

B級のジャンル小説ばかり読んでいたので、「読書の素晴らしさ」を改めて認識した。

Cinque Terre

物語は1962年、イタリア北西部の鄙びた漁港、ポルト・ヴェルゴーニャに、一人のアメリカ人女優がやってくるところから始まる。
パスクアーレ青年が住むその漁村は、近隣の村の者からは「娼婦の割れ目」などというあまり好ましくない愛称で呼ばれている。

女優の名はディー・モーレイ、ローマで撮影中の映画『クレオパトラ』に出演しているという。確かに美しいが、リズ・テイラーのような絶世の美女というわけではない。だが、パスクアーレは彼女と目があったとき何かを得て、生涯にわたってそれを抱えていくことになる。

一方、時代は下って舞台は現代のアメリカへ移る。ハリウッドの大手スタジオの大物プロデューサー、マイケル・ディーンのもとに、杖をついたイタリア人が訪ねてくる。それは、老人となったパスクアーレだった。
あれから50年を経た今、彼はディーンの力を借りて、あの女優を探しだそうとしていた・・・

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これだけだと、パスクアーレとこの女優の50年の時を経た恋の物語だと思われるだろう。映画や小説に慣れすぎた人にとっては平凡でありふれたものだと。でも、それは全く違う。

語られるのは、その場に居合わせた大物プロデューサーのアシスタント、クレアの物語と、クレアに映画を売り込みにやってきた青年シェインの物語なのだ。
また作中作も差し挟まれる。複雑で、いささか挑戦的な趣向だろう。

それぞれの物語をここで語るつもりはないが、肝心なのは、それらが組み合わさることで素晴らしい効果をもたらすことなのだ。
酸いも甘いも雑多に事が起こるからこそ、人生は意味を持つ。

本書で、私が一番印象に残ったのは、作家アルヴィスがディーことデボラに言ったこの言葉だった。

我々が手にいれられるのは、自分で語る物語だけなんだ。何をしようと、どんな決断を下そうと、強かろうと弱かろうと、動機や歴史や性格ー我々の信じていることーが何であれ、そのどれもが現実(リアル)じゃない。
むしろ、すべてが我々の語る物語の一部なんだ。でも、つまるところ、それがまさに我々の物語なのさ。

様々な解釈ができるセリフだが、さて、あなたはどう感じるだろう。

 

 

 

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