悪人は幸福にはならない。「プリンシパル」

今、国内作家で最も注目している長浦京氏の新刊。
ヤクザの話なのでかなり血生臭く、ダメな方はダメかもしれないが、裏社会を通しての戦後の日本が非常に興味深く描かれていて一気読み。

物語は広島と長崎に原爆が投下され、ラジオで昭和天皇によって終戦勅書が読み上げられ、日本がアメリカの占領下に置かれることになった1945年に幕を開ける。
関東最大の暴力団、水嶽(みたけ)本家の娘である綾女(あやめ)は、父親の跡を継ぐこととなる。当初は、戦地に赴いている兄たちが戻ってくるまでの短期的な代行のはずだった。
女学校の歴史教師だった綾女は、水嶽の稼業を嫌っており、いやいや引き受けたはずが次第にその才覚を発揮し始める…

全然シチュエーションも違うのに、ドン・ウィンズロウを連想。
クライムノベルの雄である彼の小説に出てくる人間は、自ら意図はしているわけではないが世間から見れば立派な悪人だ。
この小説の主人公である綾女同様に、状況に後押しされるように結局悪事に手を染めるが、人並み以上の優しさも持ち合わせており「善行」も施したりする。
主人公目線で描かれるので、大方の読者は彼(主人公は男性の場合が多い)に感情移入しつつ、軽快なテンポで読み進めることになるのだが、決して幸福にはならない。
ウィンズロウの確固たる信念を感じさせるほどに、最後は必ずと言っていいほど不幸な結末を迎える。
それをちょっと思い出したな。
現実はまた違うのかもしれないけど、少なくともウィンズロウの物語ではそうで、ネタをぶっちゃけちゃえば、綾女の末路も悲惨です。

戦後の混乱期におけるヤクザの役割も興味深い。
毒を持って毒を制すというか、政情安定のために、実際彼らが果たした役割も大きいのだろう。
作中、登場する大物政治家は誰もが知る実在の政治家たちをモデルにしていて、政治家同士のその政権闘争などは史実にかなり近いのではないかと思われる。
コンプライアンスな現代では考えられないと思いきや、今でも結局、反社会的な宗教団体との繋がりも明らかにされているのだから、結局「白河の白きに魚は住みかねて」なのだろうか。
清濁併せ飲むものなのかもしれないなぁと思う。

本書のもう一つのテーマは「血」だろうか。文字通りあの時代のヤクザの物語だからもう血自体はじゃんじゃんバンバン流れる。だが、ここでいう「血」とは「血は争えない」とか「カエルの子はカエル」的な血のことだ。
綾女は最も父親の血を濃く受け継いでいたために、不幸な結末に至ったと言っていい。
橘玲氏の著書「言ってはいけない」等に、繰り返し出てくる格言?として、「遺伝要因は歳を経るごとに顕著になる」というものがある。彼は主に知性や能力について指摘している。
「頑張れば報われる、氏より育ち」派から見れば希望もへったくれもなく露悪的この上ないが、残酷なことにある程度の事実らしい。
偉大なワインも、ほぼ、どこの畑で採れた葡萄か、でほぼ決まるという(それ以外の要因はもちろん大事だができることには限りがあるという意味で)

作中の彼女は驚くほど残虐だ。そうでなければ、あの時代に女だてらにヤクザの親分などやっていられないが、仕方のないふりをしつつ好んでそれをやっていたようにも思える。
親族も含めて自分の邪魔になるものは「敵」というのは、まさに戦国大名。

良くも悪くも、彼女は「プリンシパル」、孤独な頭目であったのだろう。

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