江戸川乱歩賞受賞作は、『脳男』 くらいまでは毎年買って読んでいたのだが、長らく遠ざかっていた。
最近は国内ミステリでさえも読まなくなってしまったが、なんでも乱歩賞60年を迎え記念となる作品だというので読んでみたのだが、、、
、、、、、私は期待しすぎだったのかも・・・
主人公は全盲の村上和久という老人だ。彼は40歳を超えた頃に失明し、今は都内で一人暮らしをしている。妻は既に他界、一人娘の由香里との関係は芳しくない。
しかし、由香里の娘で和久の孫にあたる夏帆が腎移植が必要となる。和久は、自分の腎臓を提供することにより、再び関係が取り戻せるのではないかと期待を寄せる。
しかし、検査の結果、和久の腎臓は移植に適さないと判断された。由香里は、既に片方の腎臓を由香里にやっていた。そのため和久だけが頼りだったのだ。
失望する和久だったが、ふと岩手に住む兄の竜彦のことを思い出す。
さっそく岩手に赴き、ドナーになることを頼み込む和久だったが、兄は取りつく島もなく拒否するのだった。
そんな兄の頑な態度に、和久は違和感を抱く。兄の竜彦は中国残留孤児だった。彼の永住帰国の時、和久は既に失明しており、竜彦を確認したのは老いた母だけだ。兄が検査を拒むのは理由があるのではないか?
兄は、本当に兄なのだろうか?和久の中で次第に疑惑は膨らんでいくのだが・・・
この作品、なんでも有栖川有栖氏が「絶対評価でA」と絶賛し、選考会では満場一致で受賞が決定」したそうだ。
著者は家族に支えられて執筆一本に10年というから、ご本人もご家族も感無量に違いない。
でも…ゴメンナサイ。
私は色々と引っかかって、物語に没頭することができなかった。
そもそも70過ぎた老人の腎臓を子供に移植するというのはどうなのか?
岩手の貧しい農家の財産目当てに成り済ましなどするだろうか?
点字短歌の暗号にする必要性があったのか?
90歳近い(であろう)主人公のお母さんの手は、”渋柿”ではなく”干し柿”の感触なのじゃないだろうか?
読んでいて「おや?」を連発してしまう。
また、Amazonで「ロバート・ゴダードの『闇に浮かぶ絵』のパクリだ!」というレビューを目にしたが、あちらはティチボーン裁判を下敷きにしており、設定もストーリー展開も異なるので「パクリ」といってしまうのは少々気の毒かなという気がする
(パクリは●ナリーの『ナ●インドラ●ン』!!!!)
この作品の後に続き『闇に浮かぶ絵』も読んだが、案の定、比べるべくもなかった。
細部は置いておくにしても、オリジナリティ云々より、登場人物に感情移入できなかったことのほう大きい。
“老人だから”というのではなく、キャラ自体に魅力がないのだ。
プロットに説得力がなくそれで読ませることができないのなら、せめて登場人物に魅力を持たせてくれないとキツいかなぁ。
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