ハヤカワ国際フォーラム「カズオ・イシグロ講演会」の第二部は、英米文学研究者の柴田元幸氏と翻訳家の土屋正雄氏がゲスト。
柴田さん曰く、土屋さんは、あまり人前に出ることはないそうで、もしかしてイシグロ氏よりもレアキャラかもしれませんよとのことだけど、残念ながら最後列だったのでお顔もよく見えない・・・
柴田さんの質問にイシグロがこたえる形で対談は進行し、第一部よりも、より具体的に新作について踏み込んだ内容となった。
※『忘れられた巨人』について少々のネタバレも含んでいるかもしれないので、未読の方はご注意ください。(以下敬称略)
柴田 :小説を書く際、それが色々な言語に翻訳されることを意識していますか?
イシグロ :私の世代の作家は、無意識にそれを念頭に置いているのではないでしょうか。
今の時代、小説家は色々な国で本を宣伝して回らなくてはなりません。今まさに私が日本にいるように(笑)ただデンマークにブックツアーに訪れた際に少し苦い経験があって、その時は難しいと感じました。以降、しばらくは執筆中にデンマーク人に肩越しに覗き込まれているような気分にもなりました。(笑)
登場人物の説明のテクニックなどについてもそうですが、例えば英国人ならロンドンのどのあたりに住んでいるかで、おおよそのその人物の階級が推測できます。でも外国の方にはピンとこないでしょうし、シャレや駄洒落なども危険です。
しかし、他の言語に翻訳されることでうまくいかないんじゃないかと心配しすぎるのは、よくありません。
少し捕捉しておくと、おそらくデンマーク訪問の際に読者とかなりトンチンカンなやり取りがあったと思われる。
また、地域的なテーマを描くことでかえって普遍的なテーマになることは文学ではままあること。小説がそれぞれの国の特殊な環境に触れることで、より芳醇になることもあるとも言っていた。
柴田 :日本語についてどういう感情を持っていますか?
イシグロ :私にとって日本は第二のふるさとで、日本語は特別なものです。ただ、最初(小説を書く時)は少し怖くもありました。
舞台設定は日本ですが、私はそれを英語で書いています。ですので、”日本語が背景にある英語”で語ろうと試みました。いわゆるJapanese Englishですね。
『日の名残り』くらいまでは、日本語英語のエコーのようなものがあるかもしれません。
柴田 :土屋さんから見てイシグロ氏の英語作品はどうですか?
土屋 :「作家によって英語がどうこうというのは、正直よくわかりません。ただ、イシグロさんの作品は彼の背中だけをひたすら追っていけば、ちゃんと辿り着けるという安心感があります。
英語としての難しさについてはそれほどの難易度はなく、この『忘れられた巨人』などは高校2年生の英語力があれば読めるのではないかと…実は昔、コンピューターのマニュアルを訳すというテクニカルライティングをやっており、そこでいかに読みやすい英語を書くかというのを叩き込まれたのです。
『忘れられた巨人』からサンプルをとり、わかりやすい英語をはかるツールを用いて難易度をはかってみたのですが、結果は英語教育を10年やっていれば読めるのではないかというものでした。
土屋 :『忘れられた巨人』では、ひとつのセンテンスに二つの動詞があるのですが、それは何か意図されてのことですか?
イシグロ :いや、計算はしていないんです。
そもそも『忘れられた巨人』も以前と同じ課題と向き合わねばなりませんでした。
というのも、日本語の残響のある英語を用いて小説を書いたのと同じ効果を狙いたいと考えたのです。『忘れられた巨人』の舞台は5〜6世紀のブリテンです。英語という言語が入ってくる以前の物語なんですよ。
だから特に会話の部分では、別の言語が背景にあるという前提の英語で書きたいと考えました。
最初は、普通の英語に織物のように古い言葉を織り込んでいくという作業を試しました。ただ、これは妻から駄目だしされました。
二度目は引き算にしてみました。
soやwhich、whoなど省けるものは全て省いてみた。それでも意味が通じたんです。そして奇妙で外国語のようなニュアンスも生まれました。
前回の長編『わたしを離さないで』ではSF的設定だが、今回の『忘れられた巨人』はファンタジー的要素を持っている。
イシグロ氏はファンタジーなので何でもありではなく、ある一定のルールをしいたという。一部、竜のような超自然的な生物も登場させているが、そうしたものを登場させつつ、リアルな世界を作りたかったのだ。
竜は、5〜6世紀の先科学的時代の人々が恐れ恐怖するものの象徴であり、それによって主人公の”感情”が表現できると思ったのだという。
また、これまでイシグロ作品は終始一貫、「記憶」をテーマにしてきた。
しかし、今回はこれまで個人の問題に留まっていたものは国や社会といったもっと大きなものへと拡がりをみせ、テーマ自体も「記憶」を取り戻すことの恐ろしさにも踏み込んでいる。
雌竜の吐く息(にかけられた魔法)で、この土地の人々は、何もかもをついぞ一日前のことでさえ忘れてしまうという病にかかっている。
その竜を殺すべきか否か。
殺してしまえば、記憶は甦るが、同時に嫌な忘れたいと思っている記憶も甦ることになる。
アクセルとベアトリスの老夫婦も、それを埋もれたままにしておいたほうがいいのかもしれないと恐れるが、そのことは個人個人のみならず、国家や社会もまた同じなのだという。
続いてお客さんからの質問コーナー。
Q 『忘れられた巨人』の語りを一人称ではなく三人称にしたのはなぜですか?
A(イシグロ) 今までは個人の問題として取り上げてきたが、今回はもっと大きな形(国や社会全体のレベル)で考えようと思っていました。一人称なら個人的なものになるため、今回は敢えて三人称を選び、且つ様々な視点を取り入れました。
Q アクセルとベアトリスの当夫婦の会話には、繰り返しが多いように思います。それはお好きだという小津安二郎の「東京物語」の影響もあるのでしょうか?
A(イシグロ)小説家として『東京物語』に大いに影響を受けましたが、特に意識はしていません。
アクセルとベアトリスの会話は、アイルランドの劇作家ジョン・ミリントン・シング (John Millington Synge)のリズム反復を意識しました。
反復はよくないと思われがちですが、決してそうは思いません。
それはフィクションをパワフルにしてくれます。
繰り返すことで老夫婦がずっと連れ添っていて、息がぴったりあっているという感じを醸し出し、エモーションを豊かにするのです。
Q(柴田)読者にはっきりと明かされないことの答えを、著者はどれくらい持っているのですか?
A(イシグロ)小説をミステリアスにしたいとは思っていません。私自身わからないとは思っていないし、答えも持っています。全ては最後に明らかになります。ただ、自己欺瞞を描きたいとは思っていました。自分で自分をどこまで騙せるのか、ということです。
それは個人のことならず国家や社会全体のことに波及しています。
イシグロ氏は、この小説に取りかかろうとしていた時、英国やアメリカ、日本、その他の色々な国の人々が忘れたいと思っている出来事について考えていたという。
例えば、奴隷制度の問題は本質的な意味での決着はついていません。そしてそれは何かの折々に首をもたげてくる。アメリカ各地で頻繁に起こる人種間対立の暴動がそうです。
それを忘れてしまいたい、触らずにそっとしておきたいと願う人も大勢いるでしょう。それは掘り起こすべきなのでしょうか?
それこそが、今回『忘れられた巨人』で私が取り上げたかった問題です。ユーゴスラビア紛争やルワンダ紛争にも同様のことを感じます。
外国を訪れると、私はいつもこの国の「忘れられた巨人」は何だろうということを考えてしまうのです。
Q 小説家になりたいという人へアドバイスをください。
A(イシグロ)まず、本当に書きたいのかということ良く考えてください。小説家にはなりたいけれど、書くのは嫌だという人は多いんですよ(笑)。
こうして世界を回って本を宣伝している私の生活は、一見華やかに見えるでしょう?でも、もっと長い時間、書くということに費やしてもいます。書くということは多くの人にとっては苦痛でしかありません。そして、そのことに気づくのには驚くほどの時間がかかります。
本当に書くことが好きですか?
この質問にYesとこたえることができなければ、私はおすすめはしませんね。
※ 本記事は私個人の記憶とメモに頼るもので、聞き取りができなかった箇所についてはバッサリと割愛しております。解釈や理解が及ばない点につきましては、容赦ください。
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Spenth@様
こんにちは、大分暑くなってきましたね。
この記事は、更新されてからすぐ読んだのですが、東北出張やゴルフ等で
ばたばたしており、コメントするのが遅れました。
今回のリポートで大分理解が進みましたので、この講演会に関する書籍が
出たら読んでみたいと思います。
柴田氏や杏ちゃんが言っているように色々謎(暗喩)が(題名通り)埋め込んで
あると、だれもが思っているのがわかり、すこし、安心しました。
イシグロさんは「いやいやすべて明らかになっていますよ」と言っていますが、
表現が多次元にわたって広がっていたり深まっていたりで、私には高原からの
パノラマを見ている感じで、遠望したら何とか全容がわかるが、詳細は近くまで
行かないとよくわからない、しかし、近くまでいくと今度は全体がどうなっていたか分らなくなってくる感じです。(自分でも何を言いたいのか若干分らなくなりましたが)
各国の巨人としては、アメリカ「人種差別」、ドイツ「ナチ」、旧ソ連や中国は色々あるんでしょうね。
日本は「同和」だと思います。為政者にしても、一般人にしても、あまり思い出したくなる事柄では無いのですが、現実にはいまだに存在していますね。
ほかに何かあるかな?
質問コーナーが有ったようですが、私は彼が日本でそのまま日本人として
いたら、自分はどうなったか想像してみた事があるか?と質問してみたいです。
やはり、小説家になっていたのか、ミュージシャンになっていたのか、あるいは
サラリーマンになっていたのか、なんか想像すると面白い。
それではまた、読書会でお会いしましょう。(「探偵は壊れた町で」、読み始めました。)
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Jiroさん、こんばんは!
> イシグロさんは「いやいやすべて明らかになっていますよ」と言っていますが、
> 表現が多次元にわたって広がっていたり深まっていたりで、私には高原からの
> パノラマを見ている感じで、
杏ちゃんも「もしかして私がブリテンの歴史とか知ってるともっとよく理解できたのかも」とおっしゃってましたが、
イシグロ氏は「いやいや、私自身アーサー王伝説とか詳しくないので」とも言っていましたのでそのあたりは曖昧で大丈夫じゃないでしょうか。
ただ、本を読んで抱く"感情”を大切にしてもらいたいというニュアンスでしたので、”ズーム”しなくてもそれはそれで良いのでは?
> 質問コーナーが有ったようですが、私は彼が日本でそのまま日本人として
> いたら、自分はどうなったか想像してみた事があるか?と質問してみたいです。
どうお答えになったでしょうね?
サラリーマンではないような気がします。
では、では。
次回は読書会にて、お目にかかれるのを楽しみにしています。
あの女探偵さんは探偵というよりも、まるで占い師ですけども(笑)
Spenth@