「黒い瞳のブロンド」ハードボイルド・ミニ読書会

昨日に引き続き読書会。
この日は少人数でゆるゆると・・・

まずはマーロウにちなんでギムレットで。

なんかカクテルグラスが違う・・・?
運んでくれた方がなにか言い訳してたけど、ま、いっか。

ギムレットを飲むのはどういう味だったか忘れてしまってるくらい久しぶりだったのだが、なるほどこれは仕事を終えて一杯やりたくなるカクテル。
働いてないけど・・・。

 

 

※以下、『黒い瞳のブロンド』のネタバレまくりです。

まずは「黒い瞳でブロンド」っていうのはあり得るのかという話になる。
だいたい、ブロンドというのは青い瞳とセットと相場が決まっているのだ。
そういえば、チャンドラーの妻シシーも、ヤグルマギクの青い瞳に、ふわふわとしたブロンドが自慢の美人だったという。
ヤグルマギクというのはチャンドラーが美女の瞳の色や、空の色を喩えるのに好んで用いている。

翻訳家の小鷹氏は当初チャンドラーの創作ノートに残された「THe Black-eyed Blonde」という言葉から、”目のまわりに黒あざのある”と考えたというが、それは全く不思議ではない。

私は、てっきりクレアは染めているのかと思ってたのだが、作中に出てくる高校生の頃の写真もまたブロンドのショートカット。
もうそういう設定としてやってしまっているたのだろう。

「黒い瞳のブロンド」は色素遺伝子の組み合わせ的に存在するのかは疑問だが、ヴァネッサ・ウイリアムズみたいに、黒人でブルーアイという人もいるので可能性はなくはないのかも。


ついでの疑問は、なぜテリー・レノックスはあんなにモテるのか?
マーロウがモテるのはわかるのだ。しかしテリーはどうよ?

テリー・レノックスはご存知のとおり、『長いお別れ』でマーロウとしばし男の友情を育んだ男であるが、これがモテる。
本書でも重要な役割を果たしているのだが、特に本書ではなぜそこまで女性が執着する男であるかがいまいちわからなかった。

男性にも女性にもその魅力がわからない男、テリー…。

概ね、別作家が書いたものとしてはよく出来ているという評価だったが、もう少しクレアとのいきさつなどが書き込んであればもっとすんなり納得できたかも。




また、本書では、上手に『長いお別れ』でと登場した小物が使われている。
あの白い豚皮の英国製のスーツケースもそうだ。あれで、ああ背後にいるのは彼なんだなと読者に思わせるのだ。

映画に登場したネコもあえて出演させてたりもしている。
ロバート・B・パーカー『プードル・スプリングス物語』 と比べると、バンヴィルは、チャンドラー特有の少しキザで捻りを聞かせた表現もよく再現していて、全体的にとても研究して書いているんだろうなぁという感じがした。

私は割と映画版も好きなのだが、エリオット・グルードは違うんじゃないかという人も。
確かに。和田誠さんもそういってた。

ただ、原作とは別ものとしてあれはあれで良いのではないか?衝撃的なラストも含めて。

ところで、チャンドラーといえば最近、村上春樹も翻訳に取り組んでいる。
だが、この日集まったのは皆、清水訳派。
今回に際し、はじめて春樹訳の『ロング・グッドバイ』 を読んだのだが、『長いお別れ』 と比べると確実に分厚い。そして、なんだか知らない描写などもたくさん出てくる。

それは清水さんが、原文をかなりカットしていることに由来しており、春樹はそれに忠実に翻訳したからなのだとか。

ただ、個人的には春樹訳はどうにもチャンドラーという気がしないのだ。
例えばマーロウの身支度など、ディテールが細かく書き込まれていることによって、『羊をめぐる冒険』の僕のようなイメージと重なってしまう。今にもアイロンがけをしてパスタを茹でそうな雰囲気なのだ。

ところで、吉本ばななはイタリアで馬鹿受けしているが、それはとてもいい翻訳家がついているからだという。それと一緒で、たとえ意訳であったとしても、チャンドラーはあの清水訳だったからこそ、ここまで愛される作家になったのではないか。
ただ、一方で春樹訳は馬鹿売れしているともいう。

他にも色々としゃべりまくったのだが、お決まりのようにだんだんと話は逸れていく。

次はディック・フランシスでやりましょう。

Spenth@: 読書と旅行、食べることが好き。