悲しみのイレーヌ / ピエール・ルメートル

さて、『悲しみのイレーヌ』は、ピエール・ルメートルのデビュー作だ。
そればかりか、『その女アレックス』 で活躍したカミーユ警部シリーズの第一弾でもある。

『その女アレックス 』では、身長145cmの小柄なカミーユ警部が主役というわけではなく、主体はあくまでアレックスだったが、本書では主役といっていい。そしてタイトルのイレーヌは、彼の妻なのだ。

 

 

物語は、パリ北西部の郊外、クルブヴォアで残酷で凄惨な事件が起こるところから始まる。現場は人気のない廃墟を改装したロフトで、最悪の光景がひろがっていた。切り落とされた指や、大量の血が目に入り、汚物と血の臭いが鼻をつく。被害者は二人の女性だと思われる。
壁には女の頭部が打ち付けられており、血文字で「わたしは戻った」と書かれていた。そして血文字には、指紋のスタンプが押されていたのだ。それは文字通り、指紋ではなく指紋のスタンプだった。

そして、フランス北東部トランブレの未解決事件に同様のスタンプがあったのだ。トランブレの事件もまた、クルブヴォアの事件に引けをとらないくらい残酷で凄惨なものだった。
カミーユは、トランブレの未解決事件についてのある重要な特徴に気づく・・・

 

後半も後半、読者は「あっ!」と驚かされる。小説だからできる騙しだ。
「アレックス」もガランガランと音を立てて、章立てごとに見える世界が変わったが、本書も負けてはいないのだ。

最近、横浜市大の谷崎潤一郎の講座を受講しているのだが、谷崎は何を書くかというよりも、いかに書くかにこだわった小説家だった。なんだかその谷崎に通じるものを感じる。

こんな作品でデビューして、次が『その女アレックス』 なのだ。この先どうするのだろかと心配してしまうが、結局のところ、小説とは、その主体よりも、私たちにどう読ませるのか次第なのだろう。そして、ルメートルはそれが非常にうまい。

特筆すべきは、ルメートル自身が、人がジャンル小説を求める理由をよく理解していることだ。

作家は死を夢見る人々のために死を描き、悲劇を求める人のために悲劇を書いています。しかし人は常に多くを求めます。

あまりに的を得ており、皮肉られている気分にさえなる。刺激を求める人の欲はとどまることを知らない。
アメリカンサイコが出た当時、それは衝撃を与えたが、今やそれは刺激でさえなくなっている。ルメートル作品が、必要以上に残酷なのはそのせいなのだろうか。

作家はいかに書くかにこだわるが、読者もいかに読むかということが重要なのだ。”文学というゆがんだ鏡”に映し出されるのは、自分の真実なのだから。

 

また、キャラが立っているのも本書の長所だが、「その女、アレックス」に登場した癖の強いカミーユの部下、ルイとアルマンも健在だ。
特にアルマンの吝嗇ぶりは丁寧に描写してあり、それが和ませてくれる。カミーユの妻のイレーヌはアルマンがお気に入りだと言っているのだが、彼のセコセコした吝嗇ぶりからくるユーモアがこのシリーズのやるせなさを救ってもいる。

 

 

Spenth@: 読書と旅行、食べることが好き。