完璧な夏の日 / ラヴィ・ティドハー

本書、『完璧な夏の日』はイスラエル人作家によるもので、なんでも2013年度の英ガーディアン紙ベストSFに選出された作品なのだとか。

  

経歴をみると著者自身がコミック畑の人。
SFとコミックはもとより親和性がある。コミック的であることは否定はしないが、そう馬鹿にしたものではなかった。
ユダヤ人を意識せざるを得ないストーリーで、これが割と読ませるのだ。

物語は、ロンドンのパブに一人の男が入っていくところから始まる。一歩踏み入れれば、一瞬1950年代に引き戻されたような錯覚に陥る。
男の名はオブリヴィオン、忘却という意味だ。サヴィル・ロウで仕立てたスーツに身を包んだ彼は目当ての男フォッグを見つける。40〜50年ぶりの再開だった。

彼らは二人とも突然特別な能力を授かった超人、ユーバーメンシュだ
ここにいる二人のみならず、あの日のあの出来事によって彼らは世界中で誕生した。フォッグはその名の通り霧を操れる。

彼らは変化してしまった日から歳をとらなくなった。ゆえにあの戦争以降の全てを見てきた。ベトナム、アフガニスタン、そして911…

オブリヴィオンの仕事は、フォッグを彼の元上司オールドマンのもとに連れていくことだった。
オールドマンはその名の通り昔も今も変わらぬ老人だ。ユーバーメンシュからなる英国の諜報機関を率いている。そのオールドマンが、ある古いファイルについてフォッグに聞きたいことがあるという。

そのファイルとは“完璧な夏の日”、すなわちゾマータークと呼ばれた少女にまつわるものだ。
かくして、フォッグは過去の回想をはじめる…

物語はオールドマンの執務室での現在と、過去をいきつもどりつしつつ進んでいく。そして、フォッグが長い間秘密にしていたことが明らかになるが・・・

フィクションではあるが歴史的事実にほぼそのままに、その時代にユーバーメンシュがいたらという設定の物語。
なので、メンゲル博士やパリのゲシュタポの指揮官だったクルト・シュリカ、終戦後、アポロ宇宙船の打ち上げに重要な役割を担ったヴェルンヘア・フォン・ブラウン博士などもそのまま実名で登場している。

物語の核になっているのはいうまでもなく第二次世界大戦だが、戦争の本質がずばり描かれている。

例えば、当時フォッグはベルリンの下宿屋の老婆を詰問し、彼女の身分証明を手にしたとき万能感に陶酔する。
その身分証明は彼女の全ていうなれば魂であり、そのときフォッグは他人の生殺与奪権をその手に握っている。
そして、それに恍惚となるのだが同時に思う。
大量虐殺や強制収容所などのナチの所行やあの戦争の根幹にあるのは、この種の万能感だと。

戦争ではユーバーメンシュを擁していれば、確かに有利だが、相手もユーバーメンシュを擁していればその作用はゼロになる。これはそのまま核の脅威にも当て嵌る。

肝心のフォッグとゾマーダークとの恋物語の部分は、私にはいまひとつピンとこなかった。
確かにゾダーマークは美しい少女だったので一目惚れもあるのだろうが、それよりもオブリヴィオンがフォッグに寄せる複雑な思いのほうが胸に迫った。
オブリヴィオンは長身の美形という漫画的設定なので、これはまた腐女子の皆さん好みだろう。

作中でも引用されている有名な「シュレーディンガーの猫」は、ラジウムと毒ガスを発生装置、ガイガーカウンターとともに箱に猫を入れておいて、一定時間経過後に猫は生きているか死んでいるかという実験だ。
それは量子力学が引き起こすパラドックスを含んでいる。

この実験が示すのは、「観測結果に観測者の積極的な役割を取り入れるべきだ」というものだが、これはまさに本書の構成と重なる。

というのも、随所に、フォッグでもオブリヴィオンでもない「われわれ」という視点が出てくるのだ。
この「われわれ」が誰を指しているのかは解説に詳しいが、それをまたずとも、読者にはわかるのではないかと思う。

解説者の方も言われていたように、「X-メン」しかり「ウォッチメン」しかりで、アメリカこそ世界だといわんばかりだが、本書は欧州が舞台であり、あくまで欧州とりわけ英国サイドから描かれているのも面白い。

アメリカのユーバーメンシュ部隊の派手なパフォーマンスを目の当たりにしたフォッグに「アメリカ人どもめ、全てを見世物にしなければ気が済まないのか」と言わせてもいるのも皮肉もたっぷり。

Spenth@: 読書と旅行、食べることが好き。