世界が終わってしまったあとの世界で / ニック・ハーカウェイ

ニック・ハーカウェイの『世界が終わってしまったあとの世界で』を読んだ。

先のコンベンションで、杉江松恋さんが「アマゾンレビューは星一つ半と渋いけど、すばらしい作品!」とおっしゃっていたので、期待していたのだ。が、上巻が鬼門だった。

ハーカウェイさんは何やらキラキラしてるけども、疲れているときにはオススメしない。

あらすじ自体は割とシンプル。
舞台は”逝ってよし戦争(go away war)”によって、破滅してしまった後の世界だ。

主人公の”ぼく”は、親友のゴンゾーらとともに、残された<可住ゾーン>で暮らしている。その区域の外は、<非=現実>といわれる世界。
<可住ゾーン>の周囲には、ジョーグマンド社によって<パイプ>がめぐらされ、それによって<可住ゾーン>は、人が住めるよう安全が保たれている。

ところがその<パイプ>が大火災に見舞われてしまう。事態は深刻だ。<パイプ>にFOXという謎の物質をの送り出す基地もが火事となっていたのだ。FOXが燃えると世界に穴が空いてしまうという。

この地域の運送を担い危険物質に緊急に対応するための「エクスムア州運送&危険物質緊急民間自由会社」に勤める”ぼく”とゴンゾーは世界を救うべく出発するが…

  

繰り返しになるが、筋自体はシンプルなのだ。
問題は、語り手の”ぼく”にある。

“ぼく”が、無駄に思えるほどなんでもかんでも饒舌に語りまくるものだから収拾がつかないのだ。

しかし、同士モウモウよ。
“ぼく”がこのように、いささか混乱をきたしており、何かにつけて無駄話をする饒舌なのには理由がある。

それには、上巻でたっぷりと”ぼく”の無駄話を聞いた上で、下巻に入ってある”転機”を待たなければならない。


あっちへ飛びこっちへ飛びのおばちゃんの無駄話のような”ぼく”の物語が放つ徒労感も、辛抱していれば次第に慣れてくるものだ。

そんな頃にようやく物語上の大転機はやってきて、「おお〜〜!!!」となるのだ。

“ぼく”が語るのは、なぜ親友のゴンゾーのことばかりなのか、それらの不思議の何もかもが、腑に落ちるはずなのである。

そして、ここからの展開は意外や意外、「人間らしさとは?」という哲学的な問いに発展していったりもする。

ところで、著者のニック・ハーカウェイはあのジョン・ル・カレの息子である。
だが、ジョー・ヒル作品からどことなくS.キングを連想するようには、ル・カレとハーカウェイは似ていない。
というか、全然全く似てはいない。

顔は似てるけど、ハーカウェイにル・カレの重厚さは全くない。いかにもお坊ちゃんらしくハッちゃけているし、爆発もしている。

 
 
 
 
Spenth@: 読書と旅行、食べることが好き。