夏の沈黙 / ルネ・ナイト

なんとあの酒鬼薔薇こと元少年Aが手記を出版したという。ワイドショーによれば、出版は元少年Aから持込まれたものらしい。聞けば有害図書で有名な出版社だ。
遺族は出版の中止と回収を求めているらしいが、それはそうだろう。

酒鬼薔薇本人と彼が起こした事件は、未だバリューがあり話題性も抜群。それを裏付けるかのように、このご時勢に初版は10万部だという。

しかし、この出版は遺族を傷つける行為に他ならない。結果的に禍いしかもたらさないのではないかという気もするが。

 

本書も一冊の本がもたらす波紋に打ちのめされる女性の物語。

先のコンベンションの二次会の際、東京創元の編集者の方が「これは面白いですよ」とおっしゃっていたのだが、おっしゃる通り。

 

 

物語は二人の人間の視点で章ごとに語られていく。追いつめられる者と追いつめる者だ。
追いつめられるのは、ドキュメンタリー番組のプロデューサー、キャサリン・レーヴィンズクロフト。輝かしいキャリアに弁護士の夫、既に独立した一人息子、彼女の人生は順風だった。新居でその本を手にとるまでは。

E・J・プレストンという著者の『行きずりの人』というその本に書かれていたのは、20年前にキャサリンの身に起きた出来事だったのだ。名前は変えてあるが、主人公はまぎれもなく彼女自身で、あの日の午後に何を着ていたかまで寸分違わない。
それは、今まで夫にも息子にも話したことのない彼女だけの秘密のはずだった
その事実にキャサリンは打ちのめされ、同時に恐怖する。

 

いま一人の追いつめる者は、引退した元教師のスティーヴン。彼は二年前、亡くなった妻の遺品のなかから原稿を発見する。
それは今や復讐のツールだ。ターゲットはあの女。彼女には苦しんでもらわないと…

果たしてスティーヴンの思惑通り、キャサリンは追いつめられていく。
スティーヴンによって、あの本はまずキャサリンの息子ニコラスへ届けられ、続いてはキャサリンのいかがわしい写真とともに彼女の夫ロバートにも届けられる。
とりわけロバートは強烈な拒否反応を起こし、円満な家庭は今や崩壊寸前。おまけにそのストレスから今やキャリアまでも失おうとしていた。

20年前に何が起こったのか?キャサリンが誰にも言わずに秘めていた秘密とは?

何がすごいって、後半真実が明らかになると様相がガラリと変わってしまう。
キャサリンの印象はもちろんだが、それまでの研ぎすまされたサスペンスが、一転、家族愛の恐ろしさを痛感させる物語となるのだ

人間、誰しも見たいものだけを見るという傾向を持っている。見たくないものには無意識にフタをする。家族間、殊に親子間だと尚更だろう。

酒鬼薔薇の両親とて息子の無実を信じただろう。

解説者は、これをして「家族という人間関係が狂気を生み出す触媒になりうる」と表現している。その「狂気の触媒」は、愛情の裏返しでもあり、多かれ少なかれ誰しもが持ちうるものだ。

著者ルネ・ナイトは本書がデビュー作であるというが、描写力も群を抜いている。
一人称で語られるスティーヴンの章では、狂気と正気の狭間を行き来する彼の内面のその不穏さが漂ってくるようだ。

ナンシーのお気に入りだったカーディガンを男のスティーヴンが常に身につけるということや、チャツネの瓶に入っていた亡き妻ナンシーの長い白髪をスティーヴンが綺麗にしゃぶるシーンなどは、ぞっとさせる。

その反面、キャサリンの章の語りは三人称。この意図的な語りの違いは非常に効果的に作用している。

真相はこの粗筋からは遠く想像の及ばないものだろう。けれども、憎らしいことにちゃんと伏線らしきものもあったりする。

この結末がわかったという人は、濃い繋がりのない人かもしくは余程酷い目にあった人なのではないだろうか。それは言い過ぎにしても、キャサリンの体験をどう感じたか、彼女がどうすべきだったのか、または今後どうすべきなのかをも含め、人それぞれに異なる意見を持つだろう。男女によっても差異があるだろうし、親という立場か否かによっても異なるかもしれない。

これで読書会をやったら面白いと思うな。

 

 

Spenth@: 読書と旅行、食べることが好き。