獣たちの墓 / ローレンス・ブロック

翻訳ミステリー大賞コンベンションでいただいた本。
ハードカバーとして上梓されたのはなんと93年。この5月の末からこれの映画『誘拐の掟』が公開されるので4月に新装改訂された。

映画まで随分時間がかかったが、リーアム・ニーソンはスカダーのイメージにぴったり!(G・クルーニーだと軽すぎない?)

物語は裕福な麻薬ディーラー、キーナン(映画ではケニー)の妻が誘拐されるところから始まる。
身代金は当初100万ドルだったが、キーナンは40万ドルに値切ることに成功する。金さえ支払えば妻は無事に帰ってくるはずだった。だが、キーナンの元に返されたのは、バラバラにされた妻の遺体だった。
なんとしても犯人を突き止めたいキーナンだが仕事柄、警察wを頼るわけにはいかない。
ある意味犯人は賢かった。そこで私立探偵のスカダーに仕事を依頼をする。
スカダーの丹念な調査の結果、被害者はキーナンの妻がはじめてではないことが判明する。過去同じような手口で何人もの女性が殺害されていた。いずれも性的倒錯者としか思えない惨たらしい殺し方だ。
ただ身代金をとったのはキーナンだけだった。犯人は趣味と実益の二兎を得たことで味をしめ、またやるに違いないとスカダーは考える。

果たして、犯人が新たに誘拐したのは、キーナンの同業者の娘だった…

原作と映画は少々ストーリーは異なるようではあるが、たぶんここまでは同じ。
「殺したら殺す」というキャッチからして、この後のスカダーの対応の仕方が異なるのではないかと思う。映画では、積極的に正義の鉄槌にかかわるのかな?

だが、先のコンベンションの「ネオ・ハードボイルド作家・探偵の月旦」で、杉江、永嶋両氏は、ネオ・ハードボイルドに描かれているのは、「探偵自身の人生」であり「探偵の自信の喪失」がテーマでもあるといっている。

スカダーが本書でみせるのは、ある種の諦観であり、最優先すべきなのは少女の命のみである。金もくれてやってかまわないと思っているし、犯人への怒りもないわけではないが、正義よりはまず命。
こういう風に書くと、スカダーは腰抜けなのかと思う人もいるかもしれないが、しかし全くそうではない。誘拐された子の親にとっては、それがなによりの対応だからだ。

日々アルコールを飲まずに乗り切っているのと同様、日々暴力化する社会のなかで自分にできることを精一杯やっているという姿は共感を呼ぶ。

このスカダーという人を知るうえでは、彼の恋人で高級娼婦のエレインの存在が非常に大きい。
映画ではメインキャストではないようだが。本作では彼女は娼婦をやめようとしており、他方スカダーもエレインに”L”で始まる言葉を言いたいのだが言えずにいる。
このためらいを孕んだ二人の間の空気感がなんともいいのだ。

またまた「ネオ・ハードボイルド作家・探偵の月旦」の受け売りだが、「マイク・ハマーイズムは、80年代以前のチャンドラーに代表される探偵のアイテム化を否定し、犯罪と暴力の小説として読ませることにあるそうだ。

ならば、「暴力をもって暴力を制す」という本書の解決の仕方は、まさに”犯罪と暴力の小説”と言えるのかもしれない。

  

 

 

 

 

Spenth@: 読書と旅行、食べることが好き。