GWは後半にフレンチランチやら食事会やらが入っているだけ。GWが終わってから旅行に行く。これからほぼ一週間近く連日飲んで食べる日が続くのだ。
デブ活もここに極まれり…oh
これはよろしくない事態なので、帳尻合わせのために真面目にジムに通っていた。
ジムでは専らエアロバイク派。平日は師匠と前場の株談義をし時間を潰しているが、その師匠もお留守なので、ロバート・B・パーカーの探偵スペンサー・シリーズが相棒だ。
どの本も薄めの文庫一冊というボリュームなのでちょうどよい。
ただ、せっせと漕いでも消費カロリーは”豆腐一丁”とかそんなものなので、やらないよりは多少マシ程度のものだけど(苦笑)
スペンサー・シリーズは死ぬほど出ているので今更全部を読むつもりもなく、そこまでの余裕も体力もない(笑)
そのうえ実をいうと、私はスペンサーという探偵にはあまり惹かれない。
面白くないとは言わないし、菊池光さんの訳は大好きだが。
菊池訳といえば、私はあの独特のカタカナ使いが好きなのだ。
“ピックルズ”って何か思えばピクルスのことだったりとか(笑)
それに、My name is Spenserを「私の名はスペンサーだ」でもなければ「私はスペンサーだ」でもなく、「スペンサーという者だ」としたセンスは流石だと思う。
マニアには評価が高いという「ゴッドウルフの行方」は、私には何か味付けが足らない感がある。
ほんの数冊しか読んでない者が何をいうかと怒られそうだが、探偵スペンサー・シリーズの妙味は、会話の洒脱さにあると思う。
こんなおしゃべりなスペンサー・シリーズがハードボイルドか否かの議論については専門家に任せるが、この手の小説の例にもれずスペンサー・シリーズも一応は一人称での語りである。
しかし、大部分を占め物語を牽引するのは会話なのだ。会話を成立させるには、それ相応の相手が必要なのだが「ゴッドウルフの行方」にはこれが決定的に欠けている。
つまりは、まだ恋人のスーザンが登場していない。
また、スペンサーは私の好みからいうと健全すぎる(笑)
絵に描いたようなアメリカン・マッチョで、そのくせ知的で、おしゃれで健啖家。料理上手なうえに、浮気はしない。そのうえ、パスタを作るのがうまい。
モテるらしく、しばしば女に誘惑されるが決して揺らぐこともない。
モテるらしく、しばしば女に誘惑されるが決して揺らぐこともない。
美しい恋人がおり、頼れるべき強い相棒がいて、私立探偵のくせに警官との仲が良好ときている。
そんな人いる???
そんな人いる???
しかし、あの高須クリニックの院長がこんなことを言っている。
「人は、欠損に恋するものなのだ」と。
「人は、欠損に恋するものなのだ」と。
思うに、スペンサー・シリーズのファンの大半は男性なのではないだろうかと思うのだが、どうだろうか。
ちょうど女性がハーレクインの美人の主人公を愛するのと似ている気がしなくもない。
ちょうど女性がハーレクインの美人の主人公を愛するのと似ている気がしなくもない。
「晩秋」を読むに、スペンサーが本来備えているべき影の部分は相棒?のホーク(黒人の元ボクサーでスペンサーとは旧知)が担っているのかなぁとも思う。
その意味でも、スペンサー・シリーズのレギュラーメンバー中、最も興味があるのはホークだったりする。シャンパン好きだしビール一辺倒のスペンサーよりお酒の好みも合いそう。
ええ、何者をも犬には勝てないのです。。。
というわけで、休日の我が家のランチは自称”スパゲティの大家”である彼にちなみパスタが続き、エロバイクでの消費を吹き飛ばしてしまうのだった…とほほ
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