よりリスベットらしくなったラーゲルクランツのミレニアム5「復讐の炎を吐く女」

故スティーグ・ラーソンが生み出したリスベット・サランデルはもはや偶像視されているため、ラーゲルクランツのリスベットには賛否あるかもしれない。

でも、私は彼の描くリスベットが大好きだ。ラーソンのリスベットを読み込んで解釈し、展開させ、よりリスベットらしくなったとさえ思う。

本書「ミレニアム5 復讐の炎を吐く女 」は、前作「ミレニアム4 蜘蛛の巣を払う女」の続編だ。前作と違い、今回リスベットは最初から登場している。しかも前作での事件の影響で刑務所にいる!短期刑とはいえ刑事罰を受けているのだ。

これは、今話題になっている貴乃花親方の処分と重なってしまった(苦笑)
個人的には、貴乃花親方には理事を解任されるほどの非はなかったのではないか、と思う。それに、加害者側の親方と同処分で、前科がついた暴力横綱の総責任を負うべき理事長より被害者側が重い処分なのは不公平だ。
普通の企業なら、まずCEOが辞職するのが常識ではないか。長と名のつく役職の人は、責任をとるのが仕事なのだから。

彼の非は「協会は信用できないから話さなかった」ということらしいが、リスベットの非も「警察が信用できなかったからしゃべらなかった」というだけだ。それに対し、二人とも存外に重い処分が下されたわけだ。

ファンには、「リスベット様を貴乃花なんかと一緒にするな!」と怒られそうだが、二人とも”異様に頑ななところ”は似ている(笑)

それはさておき、今回のテーマは遺伝子。
前回は人工知能、今回は遺伝子と現在進行形で進化している科学を盛り込んでくるあたり、なかなかやるなという感じ。科学の進歩で、かつてのようなトリックが成立しなくなった現代、エンタメも時代に相応して進化すべきだと思う。

よく「人は氏が育ちか」ということが言われるが、今、明らかにされつつあるのは、人が思ったよりも遺伝子の影響は大きいということだ。
「生まれ=遺伝子」それ自体は変えようがない。「言ってはいけない 残酷すぎる真実 」という本がベストセラーになったが、この書評が真っ二つに割れていることに象徴されるように、「努力は報われる」と刷り込まれ育った世代には受け入れがたいものもある。
環境によるエピジェネティクな変化もあるにはあるが、生来のものには及ばない。真実は大抵の場合、残酷にできている。

これが優生学の問題に行き着くのは無理からぬことだが、本書はそこには踏み込まない。物足りないと思われる方もいるかもしれないが、これは懸命だったのではないか。
一旦そこに足を踏み入れてしまえば、大筋から逸れすぎて収集がつかなくなる可能性が高い。

 

ストーリーとしては、全体的にややご都合主義的傾向があるかも。
読書会などやろうものなら、たぶんメッタメタだろう(笑)

しかし、物事は何も杓子定規に動くわけではないし、北欧ものだからと無駄に陰惨さのみを強調し、売りにする必要もない。
それに頼らずともラーソンのオリジナル同様、物語には十分起伏があるし、登場人物は魅力的だ。

ところで、本書ではリスベットがなぜ背中にドラゴンのタトゥーを入れているかも明らかにされている。

彼女は常識されてきた見方と真逆の見方で、”ストックホルム大聖堂の騎士とドラゴンの像”を見ている。その視点はまさに、これぞリスベット!

ラーゲルクランツのリスベットは、ラーソンの頃のリスベットよりも精神的に成長し、他者に共感できるようなり、愛情深くもなっている。
「目には目を」的なところは相変わらずだが(笑)、自分のことだけでなく虐げられている他人に同情し守ろうとする。

海外評では、「前作よりラーゲルクランツ色が濃くなった」とも言われているようだが、このリスベットの変化は、もしかしてラーソン自身が望んでいたものなのではないだろうか。ある意味リスベットは、よりリスベットらしくなった気がする。

願はくは、そんな彼女とミカエルの活躍をもっともっと見たいが、残念ながらラーゲルクランツの「ミレニアム・シリーズ」は次作第6部で終わりを迎えるという。
マンネリ化してしまうより惜しまれつつ幕を降ろすほうが良いが、それにしてももったいないかなぁ・・・

本書のエンディングは、次作で起こる波乱を予感させるもので、もう、今から待ち遠しい。

 

 

 

 

 

 

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