「拾った女」読書会

昨夜は翻訳ミステリーシンジケートの「書評七福神」でも大絶賛されていたチャールズ・ウィルフォードの「拾った女」の読書会だった。
 
場所はいつものお店。参加者は超常連さん中心の9名でまずはカンパイ!

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飲みながらダラダラ語りの読書会(笑)
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食事は相変わらず。
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アマゾンレビューでも、翻訳ミステリーシンジケートの「書評七福神」でも概して高評価な本書だったが、
横浜読書会の平均点は10点満点で5.8点!
 
意外と見るべきか、はたまた想像以上に高評価とみるべきか・・・
ちなみに最高点は9点で、最低点は4点だった。
 
 
 
以下、ネタバレあります。
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まず、これは”恋愛小説”なのか?
ハリーとヘレンの関係を、沢田研二の「時の過ぎゆくままに」ではないが「堕ちていくのも幸せだよと〜」(←古い!)的”破滅の美学”に魅力を見いだせる否か。
これが一つ目のポイントだろうか。
 
ええ。私は全くそう思えませんでした(笑)
絶賛している書評家の方や今回評価の高かった人は、その”絶望”の闇に魅力を感じたのかもしれない。
 
ところで、いつも厳しい評価のM嬢が、カッコイイと思った箇所は、P38のはじめての夜のあるシーンなのだそうだ。(ちょっと意外)
「俺は掛け値なしの人生の落伍者だ。それはどうでもいのか?」
「ええ。あたしにはすべてがどうでもいいんだから。」
 
もっとも評価が低かったうちの一人Kさんは「将来のことを考えられない男がズルズルと堕ちていくだけの話で全く感情移入できなかった」という。
 
私もハリーにもヘレンにも共感できなかったばかりか、全体に「心地の悪さ」ばかりを感じてしまった。
最近のゴシップでいうと、高畑事件が不起訴になったことに感じたのとにてる。「でもなんかね・・・」的な。兎にも角にも、全体的にハリーの感情がフラットすぎる気がしてしまった。
二人は心中を決意し、結局ヘレン一人が死に、ハリーが生き残ってしまうのだが、破滅型の愛というのなら、ハリーのその時の絶望をもっと描いてほしかった。そこがキッチリ描かれていたとしたらもっと感想は違っていただろうか。
 
もう一つの大きな争点は、ラストで明かされる「ジョーダンは黒人だった」という事実である。白人の女をPick-upしたのは、黒人の男だったのだ。
ただ、1950年代ならばいざ知らず、黒人の米国大統領の誕生を目にしている我々からすれば、インパクトもさしてない。
「え、それがオチなの?!』というかなんというか・・・
そもそも一体なぜ、今、このタイミングでこの小説が復活したのか。
これが明かされるラスト2行は「蛇足ではないか」という意見もあった。
 

 
その他の主だった感想としては、、、
*ストーリー性がない。
*ノワールでもなく、クライムでもなく、ミステリーでさえなくどっちつかず。
 
*50年代のサンフランシスコの雰囲気が素敵。
「郵便配達は二度ベルを鳴らす」と似た雰囲気があってそこが良い。
*平坦な文章で普通の男と女が描かれているところが良い。
 
などがあがった。そうか、「郵便配達〜」は映画のエロいイメージしかなかったけが機会があれば読んでみよう。そういえば、何年か前、翻訳者の田口俊樹氏が「今年の私の自信作」とおっしゃってもいた。
 
個人的には、この小説で一番良かったのは、装丁と邦題だったかな。
 
 

 
 

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