文庫Xとは何だ?

盛岡の書店があえてカバーをかけて売り出したのがこの本らしい。
7月下旬に売り出してから誰が書いた本なのか、どういう内容なのかがあかされないことが反響を呼んでニュースサイトでも取り上げられていた。
 
それを、暮れも押し迫って、遅ればせながら読んだわけだ。まだ、レンジフードの掃除もやってないというのに。
 
既にこの正体は明かされてしまっているので、わたしもちょっとネタバレで感想を書こうと思う。いや、あくまで「文庫X」として読みたい!という方は、ここまででさよなら。
 
以下、ネタばれあります。
 
 
 
 
 
まず、「文庫X」は推理小説でも文学作品でもない。一人のジャーナリストが書いた ノンフィクションなのである
 
事実は小説よりも奇なりとはよく言うが、これがそこらのフィクションなど比べものにならないくらい面白い。普段フィクションしか読まない人であっても引き込まれるはずだ。
なにせ一介の記者が一旦解決されたとされる連続殺人事件の事件の真相に迫っていくのだ。「それ、フィクションにはありがち〜」という冷たいエンタメファンの声が聞こえてきそうだが、これは正真正銘の実話なのである。
実話であるだけに、無実なのに逮捕された方、被害者遺族たち、そして著者自身の怒りと悲しみが肌で感じられる。
 
 

2007年、著者は新企画のために未解決事件を調査していた。そこで狭い地域で17年の間に5人もの幼女が連れ去られているという事実に突き当たる。そのうち1件を除いては皆、遺体で発見されていた。
そしてその5件のうちの1件で、無実の男性が逮捕され死刑判決をくだされた。それでこの事件は「決着」となっていたのだ。この1件には犯人が刑務所にいるのだから、当然のこととして警察は連続事件として扱わない。
だが、著者はその手口や地域性、被害者の共通性から、一連の事件はすべて同じ犯人によるものなのではないかという疑念を抱いたのだった。さらに「決着」したとされる後にも同様の手口で幼女連れ去り事件が起きているのだ。
あの逮捕は誤りであり、本当の犯人は今も野放しなのではないか。
 
調べてみると逮捕された男性を有罪にした証拠はかなり曖昧だった。彼は「証拠として怪しい証拠」で死刑判決をくだされたのだ。まずは彼を事件から「排除」し再審で無実を確定させないことには、連続殺人ということを立証できないし真犯人にたどり着くことはできない。
その「怪しい証拠」というのが、科学捜査の代名詞ともなっているDNA鑑定であったことは衝撃的だった。
当時の鑑定精度はあやふやでありかなり曖昧なものだったが、驚くべきはその「あやふやさ」を、検察も科警研も裁判所さえも重要視しなかったということだった。
 
「それは、あの事件のことでしょう?そんなことくらい知っているよ」、とおっしゃるアナタ。でも、この本には、短い新聞記事には決して収まらないドラマがあるのだ。それもとても残酷な。
 
 
ここには悲しみ、絶望、希望等々の生の感情がある。
そして、自分がいかに一方的な報道を鵜呑みにしていたのかということに驚かされるのだ。
 
今は時代も違う、警察だってもっと慎重なはずと思いたいが、実際問題として、警察が一旦クロと断定すれば覆すことはかなり困難なのだ。有罪率99パーセントは、悪い意味においても伊達ではない。
 
何度も繰り返された無実の男性の再審の過程で、警察関係者は彼を「犯人ではない」とどこかの時点でわかったはずだ。しかし面子を押し通した。
警察のみならず、検察も科警研もそうだったのだ。人一人の命がかかっていたのにである。
しかも、その事件を担当した検事も、証拠をでっちあげた科警研の担当者も、その後出世までしている。この科警研の担当者の著書は本書内で引用されており、出典を明らかにするため書名も記されているのだが、案の定、その本のアマゾンレビューは荒れていた(苦笑)
 
しかし、それも致し方なしかな、と思えるほどに科警研の担当者の罪は大きい。それに比べれば、あのオボちゃんなど可愛いものだと思えるくらいだ。(といってもオボちゃんの件でも、人は亡くなっているが)
実際の科警研の女は沢口靖子のようには正義の味方でもなければ、科学的でもなかったらしい。
 
人にあんな仕打ちをしておいてよく毎晩眠れるものだなぁとも思うが、やった方というのは忘れてしまうのだろう。人間というものは都合の悪いことを忘れるようにできている。
ただ、やられた方は覚えているのだ。
 
件の男性は、様々な人々の尽力と何よりご自身の強い精神力によって無実を勝ち取ることができた。
そして、著者自身も、気の遠くなるような地道な調査で真犯人をほぼ特定に至るんのだ。
しかし、犯人は今も野放しのままで、まさに「犯人はそこにいる」
 
それもこれもひとえに警察の面子を保つためらしい。無実の人を死刑にしようとした挙句、一介の記者のおかげで真犯人を逮捕できたなれば面子は丸潰れだ。失態は改めてクローズアップされる。ならばこれらの事件にはフタをし、時が過ぎ人々が忘れてくれるのを待とうということなのだろうか。
 
人のエゴというものは、醜くやっかいなものだ。相手が個人ならば、もうその人とは関わらなければいい。しかしそれが絶大な権力を持った組織となるとそうはいかない。
しかも、マスコミが報じたのは、警察に都合のよいように作為的に作られた人物像だったという。男性の部屋にあったアダルトビデオは、マスコミを通してロリコンものに変更されていた。マイナスイメージはマスコミによって視聴者に刷り込れ「ロリコンなら、犯人に間違いない」ということになっていく。
 
メディアをばかみたいに鵜呑みにせず、自分で考え取捨選択せねばならないのだと思った。ますますメディアが信じられなくなっている昨今においては特に。
 
そして日本は確かに法治国家ではあるが、その「法」の使われ方は必ずしも正しいわけではないこともある。
他人事じゃないわ・・・と思った年の瀬なのだった。
 

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