我々はサピエンス、ネアンデルタール、デニソワの集団性交の結果?!元ネイチャー編集者による「ゲノムが語る人類全史」

「サピエンス全史」ほどではないが、最近読んだ良書。

文字通り、私たちの祖先はネアンデールタール人やデニソワ人と交配していた。
ゲノムが示すところによれば、我らが祖先は彼らに出会うと必ず交配し、その後も出会うたびに交配していたという好色さだ。


ごくわずかではあるが、私たちのDNAには彼らのものが含まれている。

やだー!ネアンデールタール人て、毛むくじゃらで頭の悪い猿じゃないですか?というそこのあなた。それはネアンデルタール人に失礼すぎる。
残されている彼らの頭蓋は大きく、脳はヒトよりも大きかった。彼らには我々に先んじて自力で衣類や宝石をつくっていた証拠も残されていて、最近の研究者の見解ではスペインのネルハ洞窟の壁画は現生人類ではなくネアンデルタール人によるものだと言われているそうだ。

ヒトのゲノムをめぐる旅路はロマンに満ち溢れている。
ヨーロッパの人のほとんどは王家の末裔であり、本書には記されていないが、理論的には私たち日本人は大和朝廷の大王の末裔(のはず)。
近年話題になったリチャード三世の遺骨から明らかにされた事実や、近親相姦を繰り返した挙句DNAの袋小路に陥ってしまったハプスブルク家などなど、興味は尽きない。

ただ、遺伝学には必ず首をもたげてくる問題がある。人種間の差異と優生学だ。ちなみに優生学を最初に言い始めたのは、かのダーウィンのいとこらしいけど。

しかし、何をもって優劣を決めるのか。著者は疑問を投げかけ、科学的かつ論理的にこれらを否定する。
例えば、黒人と白人の人種間のDNAの差異よりも、黒人なら黒人同士、白人なら白人同士の間の差異のほうが大きいという。何より遺伝学的に言えば、人種は存在しないそうだ。
ヒトの持っている遺伝子の数はバナナよりも少ない2万だから、これは意外だった(染色体塩基対は約30億)。
人種間の違いは主に肌や髪の毛、瞳の色を始めとする外見的特徴に現れるが、それらを決定する遺伝子数は、その他の遺伝子に比べればささやかなものに過ぎないということなのだろう。

そう言われても、100m走で日本人選手がジャマイカ人選手に勝てる気がしないのはなぜなのか?(笑)

過去、ドイツ、米国、スウェーデンやデンマークなどの小国、そして日本でも、優生学にもとづき、望ましくないとされた人間の矯正的な断種が行われた。
犠牲になったのは精神疾患患者だった。が、これは優生学的浄化という観点からは何らの効果もなかったという。


本書の良いところというか、著者の美点は、科学的に結論が下せる証拠が揃うまで慎重な姿勢を崩さないところだ。
どんな科学者にとってもそれは当然のことなのだろうが、世の中は似非科学に溢れている。そして、人間というものは(特に私のような)、とかく短絡的な結果に飛びつきやすくできている。

以前読んで「なるほど〜」と関心した「切り裂きジャック 127年目の真実」も、あれは、ある意味フィクションだったのだなと改めさせられた。
少し冷静になればわかりそうなものだが、キャッチーなものにはつい騙されてしまう。不可解なものにはなんらかの説明が欲しいものだ。
まあ面白い読み物であったしそれで良しとしたいが、作中、著者はその手のものを手厳しく糾弾し戒めている。

差別に繋がりかねないものに対しては特に慎重だ。
CSIなどにも登場した戦士の遺伝子(MAOA)への人々の熱狂的な反応にも苦言を呈す。

CSI11の最終話で、ラングストンの宿敵ネイサン・ハスケルは、ラングストン殺人未遂事件の裁判で、幼少期虐待を受けると攻撃的衝動的行動を誘発しやすいMAOA遺伝子を持っているため責任能力がないとして無罪を主張する。(ラングストンはその主張に反論するが)
実際、アメリカには、2009年大陪審でMAOAを論拠に死刑を免れた殺人犯もいる。ただ、これはあくまで大陪審の下した判断であり、遺伝学者は犯行時点での責任能力の有無に拠るべきという見解だ。

ヒトゲノム計画は2003年に完了したものの遺伝子に関しては未だにわからないことだらけだという。

本書は本当に様々なことを教えてくれる。将来、遺伝子治療は可能になるのか?人類は今後も進化していくのか?等々・・・
もっとも重要かつ教訓的だったのは、「自分たちが知らないことを知らない事柄もある」ということだった。
ちょっと説教されてるような気分にもなったけど。

 

 

 

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