フィクション

波の音が消えるまで / 沢木耕太郎

2014-12-26

さて、沢木耕太郎といえばノンフィクションや旅行記で知られるが、本書は長篇小説。なんと初のエンタメのだという。
実は私は初・沢木耕太郎。しかし、読んでみるとこれがなかなか良い。

バカラ賭博にさらわれる男の物語だが、なんだか身につまされるものがある・・・

Lisboa Macau

物語は香港返還の前日1997年6月30日のマカオから始まる。
28歳の航平は、1年に及ぶバリ生活に見切りをつけ帰国しようとしていた。
香港を経由するチケットだったこともあり、2〜3日香港で美味しい中華でも堪能して帰国するつもりだった。しかしその日は香港にとって特別な日だった。
イギリス領最後の日でホテルはどこも満室。
少し足を延ばしマカオまでいけば、ずっと安く泊まれるだろうということでマカオにやってきた。
そこで、バカラに取り憑かれてしまうのだ・・・。

バカラの掛け方はごく単純だ。
客はバンカーかプレイヤーのどちらかにチップを賭ける。
勝敗は配られる二枚もしくは三枚のカードの合計数で決まる。
十の位除いた一の位の数が大きい方が勝ちだ。


 

「果ての果てまでいった人にはどんな風景が見えるのか?」著者はそう思ってこの物語を書いたという。
果ての果てまで行ったら戻ってはこられないだろうが、この感覚、なんとなくわかる。
昔よく高層ビルから飛び降りる瞬間に見える景色はどんなものだろうかと空想した。自殺願望があったわけではなく単なる好奇心だ。見られないものほど見てみらいし、手に入らないものほど欲しくなる。
戻れないから行ってみたい。
この種の不健全な好奇心のある人には、とても面白い小説だと思う。この後、「深夜特急」を読んだのだが、同種のものかもしれない。

 

ところで、王子製紙の御曹司がマカオのバカラに嵌って、会社の金を使い込んだ挙げ句実刑判決を受けたのはまだ記憶に新しい。
バカラとはイタリア語でゼロを意味する言葉だという。バカラという博打ではゼロ以上に悪い数はないというのも不思議な説得力を持っている。

バカラをやっていると、なんだか自分の心を覗き込んでいるみたいな気がするんです。

航平はこう言うのだが、確かに賭け事にはこういう側面がある。あの時どうして自分は賭けることができなかったのか?
なぜ流されて賭けてしまったのか?

ああ、どうして私はあの株を買ってしまったのか・・・

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