人種差別再燃のトランプ政権下で読まれる黒人奴隷少女の物語「地下鉄道」

ピュリッツァー賞、全米図書賞、アーサー・C・クラーク賞受賞の昨年の超話題作のひとつ。実は読み始めたのは1月に入ってからだったが、途中で中断していたのだが、ようやくようやく読み終えた。


地下鉄道

15世紀に始まったといわれるアフリカ黒人奴隷制度は、その後の南部の産業発展のための安価な労働力となった。
「風とともに去りぬ」のスカーレット・オハラの親世代が財をなせたのは、黒人奴隷を使ったプランテーションのおかげだ。ビビアン・リー扮するスカーレットは、激しく、美しく、気高く強い女性だったが、黒人奴隷の視点でみればあれは全く別の物語だっただろう。

本書の主人公の少女コーラもジョージアの農園で働いていたが、ある日、同じ奴隷の青年シーザーに一緒に逃亡しようと持ちかけられる。
昔、まだ幼かったコーラを置いて一人出て行った母のように州境を越え北に逃げれば自由の身になれる…

タイトルの「地下鉄道」は、その昔、黒人奴隷を逃すための組織の符牒だったという。
解説してくださっている訳者の方曰く、「地下鉄道」という言葉は黒人奴隷を解放する運動を密かに手助けしている組織のことで、手助けする人は「車掌」、逃す対象の奴隷は「積荷」、奴隷たちを匿う小屋は「駅」と呼ばれたという。南部では個人の所有物である奴隷を逃すのは違法だったため、もし見つかれば厳罰に処されたからだ。

が、著者は比喩や符牒とての「地下鉄道」を、物語中、そのままの機能で用いている。実際にはこの物語の時代には、まだ地下鉄道網は存在していないが、コーラたちは文字通り地下鉄に乗って逃亡するのだ。

読みすすめていくと、歴史的事実と時代が乖離していることもままあり、この小説はただ「黒人少女の悲劇」を描いただけのものではないことがわかってくる
。if を用いた積極的なフィクションなのだと気づくのだが、特に後半は幻想小説かSFのような気さえし始めた。

「地下鉄道」は地下鉄そのものであると同時に、作中で別の意味で比喩としての役割も果たしているように思える。
アメリカの地下深くに張り巡らされた鉄道。それがどんなふうに繋がっているのか、または繋がっていないのかは誰も知らない。
それはまるで、言語も習慣も暮らし方も異なるアフリカのありとあらゆる国々から、アメリカの地に連れてこられた黒人たちの繋がりことを言っているのではないか。
それぞれが、アメリカで自分自身とその子孫にそれぞれ願いと希望を抱いているが、
彼らの未来がどのようなものになるか、どこで交差するのか、どこが行き止まりなのか誰も知らない。

リアリズムを超えることで、ベタな物語になっていないがために、逆に余計に残るし、きつい面もある。
サウス・カロライナがみせた偽善はシニカルに残酷で、ノース・カロライナはもっと愚直に残酷だ。訳者の方はその両州をして「ユートピアにみせかけたディストピア、これ以上ないほどのディストピア」と表す。

奴隷制度は過去のものとなり、黒人の大統領も誕生したアメリカ。
だが、政権が変わったことで、今また人種問題が大きな関心事になっている。相次ぐ警官による黒人射殺や過剰な暴力行為に、NFLの選手が国家斉唱の際に片膝をついて抗議の意を表すということもあった。
やや慣れてしまった感もあり、ニュースにも「定例行事」としか認識できなくなっている自分に改めて驚いてしまう。

 

 

メインとなるテーマは人種差別だが、差別そのものについても考えさせられる。
物語を通して、一番辛かったのは、自分も差別意識を持っている人間だという事実に向き合わなければなかなかったことだった。

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